ドキドキ寮生活 | 天狗と河童の妖怪漫才

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笑える下ネタ満載……の筈です。

シェアハウス、住んでみたい?ブログネタ:シェアハウス、住んでみたい? 参加中




今の年齢ではシェアハウスに住みたいとは思わないが、若い時ならば刺激的な毎日を過ごせると思う。


僕は高校卒業後に上京し、寮のある会社に就職した。


今から15年も昔なので、職場でも寮内でも先輩と後輩の関係性は完全なる縦社会だった。


場所は江東区の豊洲に近い場所にあったので、お台場に自転車で行ける距離にあった。


しかし、15年前のあの辺りは埋め立て地感が丸出しの東京とは名ばかりの僻地でしかなかった。


それでも世界が輝いてみえた。


知り合いや友達もいない環境で、全てがゼロからのスタートなのだが、不安を抱えつつも、あんなにもワクワクした日々はもうないだろう。


今でも東京湾の潮の香りと排気ガスが混ざったあの独特の匂いを嗅ぐ度に胸が高鳴る。


四畳半の部屋、風呂とトイレは共同だった。


入寮したばかりの頃は、風呂で先輩と一緒になると、とてもリラックスできる入浴時間ではなかった。


風呂場の蛇口は古い設備だったので、熱湯と水の量を自分で調整して適温の“お湯”を作るタイプの蛇口だった。


洗い場にはその蛇口が2つあるのだが、実はその2つの配管は内部で繋がっているので、先輩が隣でシャワーを浴びている時には、慎重にゆっくりと蛇口を締めなければならないのだ。


そんな仕組みをまだ理解していかった時のことである。


僕は体を洗い終えたので洗面器に入れた髭反りや垢擦りに熱湯をMAXで出して熱湯消毒をしていた。


そこへ先輩が入って来たのだ。

風呂場のエコーの効いた『お疲れ様です!!』の挨拶を済ませた僕は、とにかくこの場から早く立ち去りたくて慌てていた。


先輩がシャワーを浴びてる最中に自分の熱湯の蛇口を勢いよく締めてしまったのだ。


当然のことながら僕のMAXの熱湯が先輩の蛇口から吹き出したのである。


『熱っー!!』


エコーの効いた悲鳴だった。


状況を理解していなかった僕は熱湯が先輩に跳ねたのだと思い、慌てて適温のお湯を作り出してシャワーを浴びた。


エコーの効いた説教が始まった。


配管が繋がっていると説明された。


正直、よく意味がわからなかった。


先輩は説教を終えると、シャワーのお湯を出たままの状態で洗面器に入れて頭を洗い始めた。


これは、ここから逃げるチャンスとばかりに自分の熱湯と水の蛇口を完全に締めたのだった。


『お先に失礼します!!』と僕が言い終わらないうちに、洗面器に入っていた筈の先輩のシャワーが急激な水圧の上昇によって暴走し、頭を洗う先輩の横でシャワーだけが洗い場をビュンビュンと跳ね回っているのである。


エコーの効いた『てめぇー!!』が懐かしい。


蛇口を捻る時に声を掛けるのがルールだったのである。


風呂場でのルールはそれだけではなかった。


先輩が女を連れ込んでる時は入れないのである。


建前上は男だけの独身寮なのだが、そんな規則など、ここでは関係ないのだ。


キャバ嬢や風俗嬢、家出中の中学生までいたのである。


僕は4階の部屋に住んでいたのだが、風呂場は1階にあったので脱衣場のドアを開けて、中から女の人の声が聞こえたら、ゆっくりとドアを閉めてまた階段を上がって4階の部屋に戻らなくてはならないのだ。


自分のタイミングで風呂に入れないのである。


脱衣場に入ったらまず女性の声がしないかを確認し、更に女性の下着が置いてないかを確認してから中に入るのがルールというか、マナーだった。


女性に限らず、怖い先輩の声や怖い先輩の下着の趣味も把握して回避していた。


先輩はとにかく怖かった。


夜中に酔っぱらって帰ってきて廊下で喧嘩したりするのである。


腕を骨折するレベルの喧嘩である。


そんな時にドアをノックされたら最悪なのだ。


仕方なく恐る恐るドアを開けると煙の中から同期のやつが出てきた。


外に先輩たちの姿はなく、煙の正体は酔っぱらった先輩が消火器をぶちまけたのだった。


『とんでもない所に来てしまった』と同期のやつと苦笑いしたのを覚えている。


先輩たちの間では消火器をぶちまけるのが流行っていたのだ。


寮の1階には娯楽室があり、そこの前には中庭があったのだが、そこでバーベキューをやった時も最後は娯楽室に消火器をぶちまけてフィナーレとなった。

新入社員である僕たちが当然その掃除をするのだが、同期の1人はバーベキュー後半に行われた花火大会という名の戦争で服にロケット花火が命中し燃えていた。


このバーベキューは男だけでやるのだが、なぜかバリカンが用意されていて、先輩たちは、その場のノリで坊主になるのである。


特効服にハチマキをした先輩が登場したかと思えば、そのハチマキの両耳の所にロケット花火を2本差して、引火したのである。


しかし、ロケット花火はハチマキからうまく発射せずに火花だけが先輩の頭に降り注いだ。



先輩は堪らず頭を下げると今度はロケット花火が発射して垂直に飛んで来たのだ。


上品に言えば、一昔前の男子校のノリである。


面白ければ何でもありという、寮という名のヤンキーの巣窟に住んでいたことになる。


定年退職する大先輩も、この寮の出身という完全なる縦社会ぶりに恐怖しかなかった。


消火器をぶちまけるは寮の伝統芸であるのか、後輩の部屋に消火器をぶちまけたという伝説の話も『この人ならやりかねない』という納得するくらいの大人たちが上司なのである。


そして消火器をぶちまけられた後輩の人も当然ながら上司なのである。


その消火器事件の被害者である上司は足を引き摺っているので、『ひょっとしたら職場でイジメられていたのでは?』と僕は考えていたのだが、その理由を聞くと酔っぱらって寮の屋上から転落し2日後に発見されたという、伝説の持ち主だった。


同期とも仲良くなり、先輩との縦社会にも慣れてくると寮生活は毎日が修学旅行になる。


先輩との縦社会とは、寮のメンバーで飲みに行くと先輩の酒を作るのは当然のことだが、先輩の酒の好みを覚えたりするのである。


先輩たちから飲まされて潰れた同期を抱えて寮に戻ると、1個上の先輩にそのまま薄暗い寮の廊下に同期5人で並ばされた。


そして潰れた同期は『おめぇが潰れてどーすんだよ!!』と1個上の先輩から蹴られるのである。

そして先輩からの説教が始まる。


先輩たちとの縦社会に慣れるとは、先輩たちと馴れ合うこととは全く違うのだ。


そんな環境の中でこそ同期たち5人の絆が芽生える。


全員が地方出身者だったので境遇的にも似ていた。


先輩後輩の縦社会ではあるが、先輩にナメられたらいけないことだけは何となくわかっていた。


髪を染めるのも同期で相談した。


茶髪や青い髪の先輩もいたが、末端の新入社員が髪を染めたら先輩から目をつけられるのではと同期の1人は怯えていた。


そこで僕は金髪にしたのである。


これは勝負だったが、同期の誰かが腹を括らないことには自分たちの代が潰れてしまうことは明らかだった。


男社会特有の根性が認められるパターンにうまくハマり、説教されることもなく金髪デビューとなった。


しかし、同期の1人が調子に乗ってピアスまで開けた頃には、先輩から食い物にされ始めていた。


相手は薄暗い廊下で説教をした1個上の先輩である。


同期の話によると、先輩の部屋でポーカーをやって5万負けたという。


それでも断れず金がなくなって、冷蔵庫を取られたという。


次はテレビを取られてしまうと。


一緒に行ってくれないかと。


なんでだよ!という話である。


仕方なく、その先輩の部屋へとポーカーをしに行くことになった。


その先輩の部屋は六畳部屋で、部屋の中には先輩の友達の彼女だという家出中の中学生の女がいた。


なぜ同期のやつが負ける勝負にわざわざ行くのかが理解できた。

その同期のやつは無類の女好きだったのだ。


確かに修学旅行などで湯上がりの同級生の女には普段とは違ったラフな魅力はある。


ただ、ギャンブルという真剣勝負の場ではただのヤンキーの小娘でしかない。


先輩は言葉で揺さぶってきた。


満月満月(僕の名前)は顔に出るからな~』



顔に出たところで、同期のやつが連敗するには何らかのイカサマがあることは確かだった。


結果的には途中で先輩が『もう、やめようぜ~』とカードをまぜて勝敗をうやむやにして終わった。


僕が思うに先輩のイカサマとは、ヤンキーの小娘に相手のカードを読ませてサインを送らせていたのだと思う。


この時は同期のやつがヤンキーの小娘に対して夢中になって話し掛けていたのでイカサマが出来なかったのだ。


なんとか同期の敗けをチャラにすることは出来たが、先輩とは甘くはなかった。


その先輩は東京の人で車を持っていた。


そしてドライブに誘われ先輩の実家であるスナックの中を通って2階の部屋へと招かれた。


そこで集会の時のビデオを見させられた後に、『満月満月(僕の名前)を俺の先輩に紹介したいんだけど、いい?』と言ってきた。


さすがに、それは勘弁して下さいと頭を下げるしかなかった。


ここで強気に出た者は人生を破滅することになる。


ギリギリの嗅覚で一線を越えないことが、一昔前の世代には必要なスキルだったのだ。


そんな寮生活とは楽しい反面、プライバシーはゼロだった。


部屋をノックされ、振り向いた時にはドアは開いていて、先輩から『飲み行くぞ!』の一声で夜の予定は決まる。


居酒屋に行った後は、決まってキャバクラに行くか風俗に行くかである。


店は先輩たちが開拓した店に行くので安心感はあるものの、穴兄弟感はうぐえない。


女好きの同期のやつがキャバ嬢を寮に連れ込んだのだが、後日、そのキャバ嬢が店で先輩について接客した時の振る舞いが悪かったという理由で、同期のやつは先輩から『お前の女、ナメてんのか?』と殴られるという理不尽な説教も起きるのである。


キャバ嬢だろうと、後輩の女なら先輩に対してそれなりの接客をしろということなのだと思う。


確かに先輩の女だからと、後輩に対して先輩面する年下の彼女には腹が立つケースはあるし、それは先輩が恥をかくことになる。


理不尽を受け入れることから学ぶこともあったと思う。


朝方に帰宅し昼間に寝ていていると、先輩から起こされて『金を貸して欲しい』と言われ、ATMまで歩いて行ったこともある。


渋々歩いていると『早くしろ!』と言われたのだが、やっぱり理不尽から学ぶことはないかもしれない。


当時の思い出は沢山あるが、それらを語り合う仲間たちは側にはいない。


仕事で近くを通った時に寄ってみたが、その寮も今では取り壊されて、一戸建てが2軒立っていた。


酒とギャンブルと女に夢中になった青春の日々。


同期の連中と寮の屋上の更に上にある場所に登って見た東京湾の花火は、男達にはどうでもよかった。


くだらないことや真面目なことを背伸びして語り合った。


同期が全員辞めて、後輩の新卒はうちらの代を最後に入ってこなかった。


僕は1人、永遠の後輩となった。


会社を辞めることを決めた冬の夜に、1人きりで屋上に向かった。


煙草と一緒に吸い込む冷たい風に戸惑いながらも、吐き出す煙を眺めれば、それでも東京の夜景には明るい未来が溢れていた。


その後の不幸は言うまでもない。


あの頃、吸った煙草が一番旨かった。


あの時、吸った煙草の味は忘れることはない。


真面目に生きることは何よりも大変であるが、幸せであるだ。