子供の可能性は? | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

「うちの子は頑張れない子なんです」

「皆さんのように地頭がよくないので」

「高望みをしても無理に決まってますから」

「自分のやりたいことを決められないんです」

「目標がない子なんです」

 

こんな言葉が保護者の方からよく発せられる。

親の気持ちは理解できるが、なんだか残念だなぁと思う。

 

確かに、目の前の偏差値や所属する学校のレベル、さらには学校の成績や評定、そして何より、小さい頃から見守ってきた親なりの確信と言うものもあるだろう。

 

でも子供とは、大人の何倍も変化が著しく、それは時に気まぐれであり、時に飛躍でもある。

私は高校生の指導をしていて、劇的に変化をした生徒たちを過去30年間で何人も知っている。

もちろん、変化しない生徒もいるが、

 

「変化しないに決まってる」

「あの生徒は怠け者だからだめだ、」

 

そんな言葉を口にする先生たちは、残念ながら生徒を変化させることができない事実も知っている。

 

さらに言えば、その変化は、中学校の時は高校の時に必ずしも全員に訪れるわけでもなく、25歳で訪れる人もいれば、40歳にて「立つ人」もいる。

 

1番ダメなのは、だめなやつだと烙印を押されることだ。

特に若いうちに、この烙印を押されると、1つ間違えば一生その烙印を背負って生きていく。

 

もっと言えば、

 

「たかだか勉強である」

「たかだか偏差値に過ぎない」

「評定がなんであろうか?」

 

こんなことを言えば暴論かもしれないが、そんな昭和時代からずっと変わらない価値観だけに捉われるのではなく、新しい多様な価値観にもっと目を向けるべきではないか。

そもそも勉強の成績は、人間の評価の中のほんの小さな1つの価値に過ぎない。

 

それ以上に、かりに勉強だとしても、もっと長い目に見ることはできないだろうか。

世の中があまりに「目の前の勉強の成績」に価値を置きすぎれば、多様な才能をもった子供たちにとって窮屈な社会になり、それは大人にとって都合がいいのかもしれないが、子供にとっては夢のない未来になる。

 

king&princeの平野紫耀さんは、とてもイケメンであると同時に、その天然ぶりが愛されている。



おそらくだが、きっと彼は「学校の勉強」は得意ではないであろう。

しかし、それ以上に彼には多くの「魅力」があり、なにより誠実さを感じさせる人柄がある。

もし彼を「学校の勉強」だけで評価をすれば、もしかしたらダメな奴、怠け者になるかもしれない。

しかしダメな奴、怠け者が、ダンスに取り組み、歌のレッスンを受け、どれだけ疲れていても笑顔を忘れず頑張れるだろうか。

彼をダメな奴なっていったらティアラの皆さんに叱られる。

 

大人はすぐにこんなことを言う。

 

「好きなことばかりでなんとかなるほど、世の中は甘くないぞ」

 

きっとそんなことはなく、大人が世の中の価値観を狭めているだけだ。

失敗を恐れさせ、価値観を狭め、過去の常識や当たり前を強要して、子供の可能性をつぶしてないだろうか。

king&princeの平野紫耀さんは好きなことに一生懸命に取り組んでいる。

サッカーの三苫選手も、野球の大谷選手もみんな同じだ。

 

ちなみにほとんどの親や先生の時代に、

 

AIはないし、

いまほどインターネットを無限じゃないし、

みんなスマホを持っていなかったし、

ワールドカップでスペインに勝てないし、

世界はいまほどグローバルじゃない。

 

でも、勉強の価値観は同じ・・・・

 

子どもの可能性とはなんであろうか。

過去からはあり得ない未来があることをもっと大人は想像すべきではないか。