この夏休みの自由研究で「毛沢東」について調べた中学生がいる。
毛沢東は、いわずとしれた中華人民共和国の建国者であり、毀誉褒貶はあろうとも中国史にとって重要な人物である。
毛沢東の最大の功績は、中国からおおよその飢餓をなくしたことではないだろうか。
そんな私の一言から始まった夏休みの毛沢東研究
むろん単なる知識的な学びではなく、中国人からみた毛沢東観なども調べ、妙な固定概念や右翼とか左翼と言ったイデオロギーのフィルターを被せることなく、冷静な視点で批判・評価を行った。
過去の歴史や文化、さらに人物を評価することは難しい。
紋切型ではなく、疑問をもって精査し批判し評価するわけであり、通常の勉強の何倍もの思考力が求められるからだ。
そういう意味では、答えの明確な学びとは楽であり、しかし思考的ではない。
この中学生と一緒に取り組んだ夏休みの自由研究は、私にとってもとても良い機会である、生徒にとっても良い機会であった。
「学ぶ」「勉強する」とはなにか?
そんなことを考える機会であったような気がする。
それこそが生徒にとってこの夏の最大の成果かもしれない。