ずっと日本史の教材つくりをしている。
かれこれ、いまのメソッドを考案し20年になるが、そのオリジナルの世界は未知の世界であり、改良に改良を重ね、試行錯誤しても、いまだゴールではない。
毎日、毎日、3時間も4時間もその作成に時間を費やし、そんな生活が20年も続いている。
そんな結果が、生徒に配布するプリントや、演習プリントになる。
だから、そのプリントは私にとっては人生そのものであり、他では絶対にないものと確信している。
その一方で、そうした教材でも価値を感じない方も当然いて、それはそれで納得できる。
しかし、問題演習のプリントを欲しがりながら、同時にその問題には全く取り組まず、なおかつ他ごとをしていたり、寝てしまう生徒がいるのは、世の常である。
私は、そうした生徒の存在に腹を立てるほど、立派な教員ではない。
しかし、配布して、無駄になっていく問題プリントの存在がかわいそうでならない。
プリントさんは、受験生たちに取り組んでもらえるのをまっている。
その結果、受験生たちに夢の実現にお役に立てることを、心から楽しみにしている。
そして、何より、受験生が一生懸命に努力するための道具になれたことを最高に喜ぶ。
しかし、そのプリントさんが、時にろくに見てももらえず、ただプリントさんをもらうことだけを目的とした受験生に出会うと、プリントさんが涙を流しているように感じる。
そんなプリントさんを見ていると、心の底から悲しい。