今日もまた、ひとりの生徒の小論文指導を終えた。
こうしてまたひとり、またひとりと旅立っていく。
この指導での付き合いは、決して長いものではない。
しかし、こうして最後となると、なんとも言えず寂しい。
私は、この生徒たちのように高校時代に努力をしなかったし、対話を重視するといいながら、実はコミュケーションは苦手で、こっそりシャイでもある。
しかし、彼らは少なからず私を頼りにしてくれ、その指導を信じてくれる。
私は、ずっと自分が必要とされる場所を探している。
幼少から利発さとは縁遠く、根気もなく、何より目標に向かって努力する精神に乏しかった自分には、私が出会う受験生たちはたまらなくまぶしい。
そんな彼らに、私は思考の大切さを伝えようとしている。
思考とは疑問であり、疑問の先に創造があり、その学びは一生涯続く。
むろん、受験指導ではある。
だが、私が伝えたい学びとは一生涯続く学びであり、それは模倣であってはならず、何より楽しく素晴らしい世界である。
私は、人生でもう一度だけ担任をしたかった。その夢はもう敵わないし、そもそも担任なんて、私の能力では無理であろう。
しかし、私の塾に集ってくれる皆さんの、迷惑かもしれないが私は担任のつもりであり、何より彼らは私の宝物だ。
高校のように3年間なんて長い付き合いでもないし、毎日も会わないし、彼らにとっては単なる塾かもしれないし、なにより合否という残酷さもある。
それでも彼らの人生に少しだけ関われること、そんな幸せを、そしてようやく居場所を見つけつつあるような気がする。
受験は大切ではあるが、決して人生をすべてでもないし、その先だってずっとチャレンジで、世の中はリスキーだ。
だから、自分らしく、思いっきり想いをぶつけてくればいいじゃないか!
思考とは本来そういうものだし、解答もないし、人と同じである必要ではない。
世の中はちょっぴり窮屈で、少しだけややこしい。
でも人の生き方は自由だし、選択権は自分にある。
彼らがそんな生き方をできて、そんな人生を歩んでくれれば、なんだか自分の生きてきた意義を見つけたような気がする。