ここのところ、流れ星を見る機会が何度かありました。
流れ星の正体がなんであれ、一瞬の輝きを地球のヒトは待ちわびるし、おかまいなしにお願いごとを唱えようとします。
宇宙のことを考えると、薄ら寒くなってきますが、まあまあ深く考えずに夜空を見上げれば、ぼんやりとロマンチックな気分になってくるものです。

高校受験あたりのころ、一応受験生らしく夜中まで起きて勉強していて、休憩がてらミルクココアを作っては、毛布にくるまって星を見上げていました。
音楽も聞いていたはずだけど、当時何を聞いていたかよく思い出せないや。YUKIの「惑星に乗れ」とかかな。
その時、お気に入りの星を作って名前を付けたんだった。それで、部屋で育てていた小さいサボテンにも同じ名前を付けたんだけど、なんて名前だったかなあ。
まあ、いま思えば中2病以外の何者でもないんだけど、いつか名前を思い出せる日がくるかしら。
もっとさかのぼって、小5の時に銀河鉄道の夜を読んだのも、思い出深いです。さそり座の話とか。ジョバンニとカムパネルラがね。未完なのもまた、良かった。それから宮沢賢治を何冊か読んだけど、銀河鉄道の夜が一番好きだったな。
思えばその時が、わたしのジンクスの最初だったかもしれない。
ジンクスとは、ある本を気に入って、同じ作者の別の本を読んでみても、最初に読んだものが一番で、あとはイマイチ、というもの。
地味だけど、これはかなりの確率で当てはまるのです。
例外は思い出せる限り、いしいしんじだけ。最初に読んだのは「ぶらんこ乗り」で、これもとても好きだけど、次に読んだ「プラネタリウムのふたご」が一番すきになった。
あ、うまいこと星の話に戻ってきました。
それでは、プラネタリウムのふたごが好きすぎて、そらで覚えてしまった、ふたごの一方がもう一方に送った手紙の一節で閉めたいと思います。

空の彼方でゆっくりとおおきく姿かたちを変えていく星々たちにくらべ、けしつぶほどの時間しか与えられていないことを、僕はいま、心から幸運に思っています。永遠を信じられるから。たとえそれが見せかけの永遠だとしても、ぼくのなつかしいうちは、永遠にかたちを変えない星々のもと、いまもそこにある、と、そんなふうに思えるからです。

おしまい。
日常的に電車に乗ることがないからか、わりと好き。とくに、いちばん利用頻度の高い、西武池袋線の黄色い電車。
今はそうでもないけど、二年ほど前は、その黄色い電車の奥の方の沿線に住んでいたので、わりと田舎な車窓からの眺めがけっこう好きだった。特に夕暮れ時なんかは、なんだかわけもなくしみじみした気分になってね。
それと、実家に帰る時に利用する、湘南新宿ラインから見える、荒川の河川敷とかね。基本的に電車に乗っている時は景色を見てるのがいちばん好き。
でも、地下鉄も好き。地下鉄のホームの感じとか、車内の閉塞された感じとか、どこかわくわくする。
けど、新宿とか渋谷の駅の、あの不思議なダンジョンには、ちょっと勘弁してほしい。早く地図を入手して右上に簡易マップと現在地を表示させなきゃって気分になる。

バスも好き。バスの中では携帯いじったり本読んだりしてるとすぐ酔っちゃうから、やっぱり景色見てる。電車からの景色とはまた違っておもしろい。
何度か乗った夜行バスも、かなり好きだった。窓際の席に座れたら、カーテンの隙間からずっと夜景を見てた。たまに川とか海が見えるとすごくテンション上がる。途中のサービスエリアも、深夜だからすごく寂しくて良かった。
昔、地域ぐるみで仲良しの人たちとマイクロバスを借りて海まで行ったのも思い出した。うちの方は海まで二時間かかるから、車中もいろいろゲームして盛り上がった。運転はうちのお父さんだったな。

バスじゃなくて、ふつうの車も好き。免許もってないけど。
上京してからは車に乗る機会が激減してしまったから、たまにタクシー乗っただけでもちょっとテンション上がるし。タクシーは、タバコの残り香もなんかいい。
いつか免許取ったら、夜中に海まで行く。予定はないけど。
衝動的に出発して、途中のサービスエリアでかけうどんか月見うどんを食べる。長距離トラックのおじさんが何人かいて、それ以外はテレビもないしすごく寂しい感じで。それから海に着いて、海に浮かぶ月をぼんやり眺めたら、朝になってしまう前に帰る。帰る途中で死んじゃってもいいな。
これ、たぶんわたし実行しないと思う。ビジョンが明確すぎて、実行したらたぶんがっかりするとおもう。
夜中に海に行くのはいいけど、一人であわよくば死にに行くんじゃなくて、好きな人とわくわくしながら行くんだったら、行ってもいいな。
とにかく、真夜中のドライブには憧れを抱いているって話です。
それから、乗り物の中で、ジェットコースターと飛行機は好きになれません。死ぬのが怖いから。
おしまい。

無類の猫好きであります。
「こねこのぴっち」という絵本がありまして、そのぴっちがそれはそれはかわいいのです。
出会いは忘れもしない、後輩の合唱の大会を見に行った横須賀のショッピングモールの雑貨屋さんに置いてあったカレンダー。
一目惚れもいいとこだったのですが、その場では数々の理由により購入を断念。
でもあのかわいさをどうしても忘れることができなくて、3ヶ月後くらいに、ついに絵本を購入。さらにそこから熱が冷めるどころかヒートアップしていき、ペンケースやらポーチやら写真立てやら弁当箱やら、グッズを買いあさる日々。
手帳もぴっちだったのですが、「キャラもの卒業」の決心のもと、今はだいぶ落ち着いています。
photo:01

これが絵本。ごちゃごちゃしていて、かつ線の細い、大きな絵の中に、小さなぴっちがちゅんと座っている感じが、たまらなくかわいい。
photo:02

これは姉にもらったぴっちのぬいぐるみ。下にいるのは、これまた一目惚れして買ったシルバニアファミリーのこひつじさん。一人なのにファミリー。かわいそうに。

でも、ここまで書いておいてなんだけど、やっぱり猫は本物が一番かわいい。
ぴっちのようにしろくろの猫もかわいいし、ジジみたくクロネコもたまらない。くつした猫も大好きだし、三毛さんもしろねこさんも素敵。
だけどなんと言っても、茶トラがいちばん。
以前、まだ生まれて間もないのに、親とはぐれてしまったのかすてられてしまったのか、うちの裏庭に迷い込んできた茶トラのにゃんこ。
怒られるとわかってはいたけど、部屋に上げてごはんを出した。はじめはすごく警戒していて、低い姿勢で全く動かなかったけど、害がないとわかったのか、少しずつ、全部食べてくれた。でもまだ全然警戒はとけなくて、すぐに部屋の隅っこの、机と壁の間に入ってしまう。
何回かごはんを食べさせて、お風呂で綺麗にして、だんだん遊んでくれるようになって、遊び疲れてわたしのおなかの上で眠ってしまうようになる。
家族もにゃんこの小ささとかわいさに骨抜きになってしまい、一、二週間もする頃には、すっかり野良の顔から家猫の顔へと変貌を遂げました。
まだ遊びざかりの子猫さんなので、人間がくたくたになるほど遊ぶ遊ぶ。庭を駆けずり回り、屋根に登っては降りれなくなり、野良のボス猫をこっそり追いかけ、見つかっては逃げ帰る日々。
茶トラは好奇心旺盛でバカ。ほんとにかわいいにゃんこ。
ボス猫を見失って、トボトボしてるにゃんこが、遠くでこっそり見ていたわたしに気づいて、嬉しそうな顔で駆け寄ってきた時の感動と言ったら。
猫は信じられないほどかわいい。この世にこんなにもかわいい生物があっていいのかと思うほど。
その子はもういないけれど、今でもわたしは、無類の猫好きであります。おしまい。