人生を生きていて,曲がりくねった私たちの前に置かれている数多くの縁はすでに予定されたように,ちょうどその分の距離で我々を待っているようだ。 風が吹いて雨が降るように予測できない天気の変化のように,波乱万丈な人生史を編み出す縁法は,脚色の五色室のように,それぞれの多彩な事情を抱いている。 小説やドラマの話のように,私たち自身はこのような話を各自の舞台に上げた主人公たちだ。
周辺をめぐる縁は,私自身が呼び寄せた前生に築いた結果である。 "会う人に会う"という言葉のように,巨大な宇宙のシナリオによって演技するような私たちの姿は,遠い時間の中ですでに宿命的に固く結ばれた必然の輪のような姿だ。 自分自身の本来の真骨頂を正しく悟って生きる彼らが,この世には果たして何人いるのだろうか。 神秘な謎のようにもつれ合い,縁の車輪はそれぞれの秘密を秘めたまま生の耳を振りかざしている。 私たちの目に見える世の中は,実は半分しか現われていない。 その半分の世の中を眺める私たちはどうなのか? 我々自身も,やはり完全ではない。 未完の世の中を未完成の姿であちらこちら浮遊し,儚い喉の渇きに汲々としている。 人生の本質をしっかりとつかまなければ,人生は単なる夢になる。
昼と夜は交差し,季節は循環する。 私たちが生きる刹那の人生の中で,最も価値のあるものは何になるだろうか。 旧約聖書に登場するイスラエル王国のソロモン王は,無所不為の権力とともにこの世でもっとも富裕で豊かな財産を所有した財力家であり,誰も従うことのできない優れた知恵までも兼ね備えた人だった。 人生で楽しめるすべての快楽と,望んで得られるすべての経験をすべて享受して酔った後に彼の吐いた独白は
無駄で空しく空しいからすべてが空しくても。太陽下で苦労するすべての手間が人に何が有益か。 (コヘレトの言葉1枚2節)だった。
おそらく,この世の中のいかなるものも,彼の魂から湧き出る空虚と渇きを癒すことはできなかったのだ。 ジヘとあらゆる富貴栄華を有していたのに,このすべてが水の泡だったことに気づいただろう。 最も大事で貴重なものは,時空間を越えて不滅の生命力で,私たちの内面の深い所に位置する本質の様式になる。
本陣への道は遠く険しい。小さくてみすぼらしい種は冬の間ずっと暗くて寒さを凌いで苦労しながら,とても苦労してそびえる。 鎖は数万回の焼き入れに耐えて,またも耐えて天下の名剣に削られ,卵から覚めたばかりの小鳥は虚空をさっと飛び上がるために,し烈に毎瞬,休むことのない羽根を無数にさせる。 世の中のすべての万物は,そのように生きているすべての瞬間瞬間瞬間を,花火のようにまぶしく没頭するのだ。 我々の心臓は,生れて私たちが息を引き取るまで一瞬も止まることがない。
本然の私が私として生きて呼吸することはどんなことか? 我々はそうしたまともな価値を目の当たりにしたのか? 私たちが毎瞬間大切にしているのは何か? 本質を見られる目と耳が開いてこそ,自分を遮る障壁を取り除くことができる。 くだらない感情の痼り,我知らず結んだ傷と恨みのために俺を小さくしてしまったら,結局は自らが暗くなって明るい本性の存在を忘却するようになる。 矮小でつまらない自分の空しい影を包み込み,大切な人生の時間を無駄にするのだ。
"見えない心"の世界,精神と魂の世界が,私たちの本当の姿だ。 私たちのそばのすべての存在は,これを悟らせてくれるため,今この瞬間,私と緊密に繋がってともに共鳴し,反応している。 私が変化して成長するほど相手もともに目覚め,咲くのだ。 私が明るくなると,すべての存在は私を本陣の明るく明るい門に導く恩人になり,暗くなれば,泥の中に私を苦しませる障害になる。
最も明るい根源は,最も暗い根源を通じて現われて明るくなるが,本陣の道をきちんと探してこそ,すべての迷いや煩悶は,ようやく答えを見いだすことになる。
究極の完成に向けていく世の中は,既に誰もが深く内側にいる明るい直感に火を灯しており,自らが覚醒する場として万像は我々を明るく明るく明るく導いている。 より多くもあふれもなく,完全な私たちへの,本陣への還元は瞬間の瞬間の純理どおり必ず成り立っている。








