#81 皆が本当の幸せになれるのが宗教の本来の方向だと思うのですが(再) | 京都 野々村かおりのブログ

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皆が本当の幸せになれるのが宗教の本来の方向だと思うのですが。
しかしその歴史は、宗派・宗教団体により大小様々な戦争の歴史です。
今でもそうです。

小生は、いかなる宗教団体も持たず属さず。時には、宗教の間違った部分を直して頂きたいので、色々と申し上げたりの活動もしています。

過去にこういう事がありました。
大腸を手術し取った小学生の子供の親御さんが、紹介で電話をして来られました。その内容は、「病院の医師から手術をすれば良くなりますからと言われて、子供を説得して手術をしたのですが、手術後しばらくしてから、又子供さんが悪くなって来たので、原因はもっと違う所にあるのではないかと思い連絡をさせて頂きました。」との事でした。小生までに霊能者3人に聞かれていて、いずれもご先祖と言われたそうですが、解決できなかったので連絡をさせて頂いたとの事でした。
霊視ではなく俗にいう神授感どりをすると、小学生の子供にしてはあまりに多い落とされたご先祖が、苦しみと救助願いの陰心エネルギーや極陰心エネルギーを出し続けていました。(本 10―1〜10―3項)
この事があまりにおかしいので親御さんにお聞きすると、そのご家族が信じている宗教団体は、「神様とご先祖と、他界した教祖に日々お願い事をする宗教団体」との事でした。
そのご家族に、「ご先祖と神様に、自分都合のエゴの願望・欲望等の陰心エネルギーをぶつけないように、逆に感謝と幸せを毎日心よりお祈り下さい。」というような事をお話しすると理解をされて、その後家族全員で実行してゆかれたとの事でした。(子供さんの多くのご先祖は、分け御神様のお力により、神上げさせて頂きました)
子供さんは、ハンディキャップがありながら、中学に入り卒業まで野球部で活躍されたそうです。
普通はこれで終わるケースが多いのですが、その後日談があります。
その後日、どこで繋がったかは解りませんが、その宗教団体のトップより、「おまえとは宗教戦争だ。」と連絡をして来られました。
「ご先祖と神様には感謝をして幸せを祈りましょう。」と、ものの道理を言ったに過ぎないのですが、ものの道理を宗教扱いに決めつけて、宗教戦争だと言われてはたまったものではありませんが、その宗教団体では、ご先祖の事は宗教の世界に入るのだそうです。
永遠の命(心)のご先祖の幸せを思う人間の自然の心を無視した、酷い形式主義に陥った宗教団体と思わざるをえませんでした。
他でも様々あり、色々な宗教団体の幹部や信者の方から「おまえが間違っている」と、小さな戦争を相当数仕掛けられて来ました。(この方々に、一度本を読んで頂ければ誤解が取れると思っています)
宗教とは、一体どういう事なのでしょうか。皆を幸せにするものと思うのですが、ご先祖も含めて。

それと、多くの方々が宗教に関して陥り易い想いがあります。
それは、今の自分の心・性格はそのままにしておいて自分の都合・願望・欲望を叶えたいという、陰心を助長する方向になった場合です。これでは、エセ宗教にすぐだまされるでしょう。
本当の宗教の始祖は、自心改革をするように教えられています。
例えば、
仏教の釈迦は、慈悲心を持つように。キリスト教のキリストは、愛の心を持つように。イスラム教のムハンマドは、喜捨心を持つように。と、人間としての心の根本あり方を教えていらっしゃいます。又、おもいやりの心を持つと本当の幸せが得られる根源を説いていらっしゃいます。(その場合、神様のメッセージをお伝えする預言者の方もいらっしゃいます)

しかし、今の宗教は、教えの始祖からは極めてかけ離れた状態になっています。
例えば
●始祖は、自分の都合・欲望等のエゴのお願い事をする事は教えていらっしゃいません。それが今では…。
●次元の低い陰化物の木や、極陰化物の石や金属を使い、人間の思いこみで作った仏像等の偶像を拝む事は、始祖は教えていらっしゃいません。(本 9―4項)偶像崇拝を否定していらっしゃいます。又、その偶像を本尊というのは、どのように考えても意味が解りません。始祖の皆様が否定している事を、何故日本の仏教界の方々は本尊と言われるのでしょうか。あえて本尊という表現をしなければならないのであれば、「始祖の教え、預言が本尊」になるのが当然だと思えるのですが。
●日本の宗教で「標語(題目)そのものにありがたみがあり功徳がある」とよく聞きますが、もしそれが本当であるなら、釈迦が先にお創りだったでしょう。字は、人間が便利なものとして発明したものでありますが、その意味が解らなければ何の事かさっぱり解らず、全く無価値な存在でしかありません。字そのものにありがたみが含まれているわけではありませんので、その点を冷静に判断をすべきと思うのですが、それが今は、「読経する事そのものにありがたみがある」と言われます。その姿を見て、釈迦は何を思われるでしょうか。多分、「そんなヒマがあるなら、本来の本当の仏典の意味をよく理解し自分のものにしてゆきなさい」ではないでしょうか。(本 9―7項)
●私達全人類は、何百代にも渡る全てのご先祖誰一人として自分で自分の命は創れず、全地球星人が「授かった命」です。そして、その肉体生命を維持するために不可欠な空気・土地・水・衣食住用材を無償で与えて頂いている自然神様や、今生のものの道理やおもいやりの心を持つ事を教えられて他界された後、8次元以上の神界に永遠の命(心)が上がり人格神になられた方々他、全ての神々様には感謝しかありえないのに、それが今は…。

今の宗教の多くは、始祖の教えの本質から大きくかけ離れた部分が多々あるように観えるのですが…。
今生の人生に、ご先祖やご神仏に自分の都合・願望・欲望をお願いすることは絶対にありえない事です。

「おもいやりの心を持つ事が悟りの実践」と神様は申されます。
日本神道系・仏教系・キリスト教系・イスラム教系・ヒンズー教系・ユダヤ教系 他の全ての宗教関係者と信者の皆さんが、「本当の宗教の原点、おもいやりの心」をまず自分で実践しそれを皆に伝え広めてゆけば悲惨な戦争や差別・格差の無い平和で調和のとれた地球星にする事が可能になります。

これが本来の、「宗教関係者・信者の思考・行動の根本」ではないでしょうか。
又、例え宗教団体に入っていようがいまいが、です。


2015年10月16日
江田 拝
(2022年11月再編集)


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