農業全書卷(巻)之一
筑州後學 宮崎安貞編錄
      貝原樂軒刪補【※1】
 
 
農事總(総)論
 
耕作 第一
 
挿絵、右は田植え、後ろに進みながらでかなり疎植ですね。女性が多いように見えます。左上は草取りでしょうか?左下は肥料か水を撒いているようですねにっこり
 
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P47
 
それ農人耕作の事、其理り至りて深し。
 
稻(稲)を生ずる物は天也。
是を養ふものは地なり。
人は中にゐて天の氣により土地の宜きに順ひ、時を以て耕作をつとむ。
もし其勤なくば天地の生養も遂󠄂ぐべからず。
こゝを以て上古の聖王より後代賢知の君に至り、
天子みづから大臣をひきいて春の
始田に出でて、手づから農具を取り、
田を犂き(すき、耕す事※3)初め給ふ事あり。
是を藉田と云ひて政の初とし給へり
是古の賢君明王は農業を重んじ本をつとめ給へるに依つてなり。
其後天下の農人春の耕を始むると云へり。 
天萬物を生ずる中に、人より貴きはなし。
人の貴き故は則ち天の心をうけ繼(継)ぎて、
天下の萬物をめぐみやしなふ心をのづからそなはれるを以てなり
されば人の世におゐて其功業のさきとし、
つとむべきは生養の道なり。
生の道は耕作を以て始とし根本とすべし。
是則堯舜【※2】の政事也。
萬の財穀も皆耕作より出づる物なり。
故に農業の道具かゝる所至りておもし。
然れば貴賤ともに此理りを深くかゞみて専ら心を農桑に留めてなをざりなるべからず。
又一人耕しては十人是を食する分數ある事なれば、農業をつとむる人は心力を盡(尽)してはげむべし。
 
 
〇僕の雑な意訳です〇
間違いなどあればコメントにお願いしますお願い
 
農業全書の1巻
最も大切な基本理念が書いてある「農事総論」
の耕作です。
作者の宮崎安貞と
※1「刪補」(補う削除するの意)の貝原樂軒は
本草家(薬学者、薬草など)兼儒学者の兄弟、貝原益軒の兄
 
⚪︎以下本文⚪︎
農業、耕作の理は本当に深い。
 
作物を生むのは天。
これを養うのは地。

はその間で天の氣と土地の良きに従って、

時に合わせて耕作に努める。

人の努力がなければ天地の生養もかなわない。

 

これにより古代の聖王、賢い君は

自ら大臣を率いて春の田んぼに出て農具を手に

田んぼを耕し始められる事があった。

これを「籍田」と言い、政治の始まりとされた。

賢君明王が農業をそれだけ大切に考えたからだ。

その後に国の農家が春の耕作を始めた。

 

天万物の生き物の中で人より高貴な存在は無い。

それは天の心を受け継いで他の生き物をめぐみ養う心が

元々備わっているからだ。

人の世でもそのことを第一とすべき。

他人や生き物を養う道、それは耕作から始まる。

これすなわち堯舜の政治なり。

※2堯舜とは 徳をもって天下を治めた王

 

 

多くの財産も耕作より大切なものは無い。

故に農業の道はとても大事だ。

貴賊(身分の高い者低い者)ともにこの事を深く考えて

専ら農桑(のうそう、農耕養蚕)の事を考えて

これをおざなりにしてはならない。

 

一人が耕作すると10人の食を支えることができる。

農業をするものは心と体を尽くして励むべし。

 

※3 「犂く」とは主に牛を使って深く耕す事。

しかし現代のトラクター(10〜500馬力)のように強力ではなく牛は0.8〜1.4馬力ほどと言われる。

 

〇感想〇

農業全書第一巻の最初のページ ですので当たり前ですがめちゃくちゃ大事な事が書いてありますね。

これが今の日本国民にも根付いていれば今の多くの問題は起きていないのではないでしょうか?凝視

僕の聖書としたいと思いました。

 

 

 

 

 

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