◆パスポート | のんほい BANGKOK

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生粋の東三河人がタイの首都バンコク郊外、バンボー郡から綴る。

 しばらく前にパスポートを更新、やっとICチップ入りのものになりました。前のは99年11月発行でちょうど今年で10年。増補したページもなくなり、少し早めですが更新したものです。
 改めて古いパスポートのページをめくってみると色んなことが思い起こされますね。中でも感慨深いページがこれ!
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・2006年9月17日、名古屋中部国際空港から日本を出国。
・同日バンコク・ドンムアン国際空港からタイへ入国。ドンムアンの入国スタンプは BANGKOK, THAILANDとしか表示されていません。この日が私の最後のドンムアンでした、、、。
・3日後の9月20日にタイを出国。スタンプは SUVARNABHUMI AIRPORT, THAILANDと表示されています。が、、、あれ?スワンナプームの開港は9月28日だったはず?この時点ではまだ開港していません。
 私はこの日からマレーシアのジョホールバルで会議のため出張予定で、JETSTAR ASIAのシンガポール行きチケットを手配していました。一部国内線とJETSTARはすでにこの時点でスワンナプームに就航していたものです。下の写真はAOT(タイの空港運営会社)とJETSTARが配布した搭乗証明書です。


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 これだけなら何の自慢にもならないのかも知れません。しかしこの年の9月20日は凄い日だったんです。何が凄いかって?前日19日の夜にあの「軍事クーデター」が勃発したんです。朝起きてテレビをつけたのですが、タイのチャンネルはどこも静止画像と音楽を流すのみ。有料の衛星テレビはすべて遮断されて見れなくなっていました。私はこの時点でまだクーデターのことは知らず、とりあえず車で会社へ出かけました。会社でインターネットへ接続、しかしタイのネットは接続が難しく、やっとつながった日本の新聞社のホームページで「タイで軍事クーデター」の見出しを発見。本当に目が・になったのを覚えています。ただクーデターと言われても私自身どうしていいのやら?
 とりあえずスワンナプームへ向かいました。ドンムアンはかなり混乱していたようですが、スワンナプームは平静そのものでした。銃を持った兵士が浮いて見えましたもん。出発ロビーのJETSTARのカウンターはちゃんと開いていました。「飛行機は出るの?」と聞くと「大丈夫、ちゃんと出ます」ということで安心してチェックイン。おまけに「今日は特別に空港使用料は要りません」とのこと。
 イミグレーション手前にはやはり兵士がいましたが何も言われませんでした。イミグレーションの係に「23日に戻るつもりだけど戻れるんでしょうか?」と聞くと、係は笑って「さあ、わかりません」と、、、。何せクーデターから一夜明けたばかりで、タイの国がこれからどうなるか?なんて誰にもわからない状態でしたからね。スラユット暫定首相さえまだ決まっていませんでしたから。
 まだ工事中の免税店エリアを抜けて搭乗ゲートへ。そこにはタイのテレビ局のクルーや新聞社の人たちが大勢いました。聞けばシンガポールに滞在中のタクシン首相夫人を取材に行くのだと言ってました。彼らにもこれからタイがどうなるか?って聞いてみたけど、誰も「わかりません」としか答えてくれませんでした。
・ジョホールバル滞在中も現地のテレビニュースではタイで発生した軍事クーデターのことばかり報道していましたが、それは映像を流すのみで細かい情勢はわからずいらいらしました。
・予定通りシンガポール経由でバンコクに戻りました。航空会社によってはバンコク行きを欠航にしている会社もあったようですが、JETSTARは予定通りスワンナプームに運航を続けていました。それが9月23日の入国スタンプ。滞在期限も前政権時代に発行されたビザ通り翌年1月31日まで。
 この時点でまだスワンナプームが28日に開港するかどうか?色んな噂が飛び交っていました。新しい軍事暫定政権は予定通り28日に開港させるとアナウンスしました。
 私の古いパスポートにはそんな開港前の空港のスタンプが2つもあるんです!このページだけでこれだけの思い出が詰まっているんです。