犬が吠える ~言語の本質を考える2~ | のんコ* ジャパン

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いつもありがとうございます!塩見典子です。人生は一本の映画のようなもの。観術に出会い 人間の無限の可能性と尊厳性・日本のミッションを確信し、和心で世界を結ぶ基軸教育を日本から発信する JAPAN DERAMに取り組んでいます。 〜ご縁に感謝して〜




こんばんは!ロール刑事の塩見典子です。


(何のこと?ですね。(笑)はい、失礼しました。マイブームです。^^ 詳しくはコチラ の記事をご覧ください。m(__)m)



今夜も、言語の本質について考えてみたいと思います。



私たちが普段、当たり前に使っている言語。


文字を見る時、言葉を交わす時だけでなく、頭の中で考える時、物事を捉えて理解する時、私たちは常に言語を使っています。


この言語の発達によって、人類は飛躍的な進化を遂げてきました。



しかし、これまで私たち人間が使ってきた言語には大きな落とし穴があるのです。



以前、『言語の呪縛 』という記事でもお話しましたが、私たちが使っている言語体系は、人間の五感覚(目・耳・鼻・口・皮膚)と脳が捉えることができる現象に名前を付けて暗記をしている、暗記言語なのです。


この暗記言語では、物事の本質をとらえることは出来ません。



例えば、「犬が吠える」と言う一文章をとっても、「犬」と言う単語の中に犬の本質はありません。


小さな子供が大人から言語を教わる時に、犬や犬の絵を指して「これは犬」と繰り返し教えられながら覚えていきますが、多くの人が「犬」の本質が何なのかわからないまま、「犬」という名前を暗記して使うようになります。


そして犬の吠え方にも沢山の吠え方があります。


厳密に言うならば、全く同じ吠え方は一度も無いのです。


それを「吠える」と言う言葉で一括りにすることによって、その様子を簡略化し単純化してしまいます。


人間の気持ちも同じですよね。


「悲しい」と言っても多様な悲しさがあり、「幸せ」その言葉の背景には人それぞれの微妙な感情があるのです。


その相手の単語ひとつを聞いて、自分が暗記した単語の概念に置き換え、相手を理解したと思い込んでいるのです。



暗記言語に依存した理解方式では、物事の本質を正しく理解し、表現しすることは不可能なのです。



では、暗記言語に依存せず、物事の本質を観る為にはどうすればいいいのでしょうか?


それには、人間の観点を超えた新しい言語が必要なのです。


明日は、新しい言語についてお話しさせていただきます。



塩見典子