こんにちは!塩見典子です。
自然の溢れる北海道に来ておりますが、秋にかけて最高の紅葉を見せてくれると思います。
皆さんと一緒に、是非遊びに出かけたいですね!
しかし、もしその時に皆さんが大自然の北海道の紅葉を目の前にしながら目隠しがされている状態だったらいかがでしょう。
北海道に到着した時から北海道を去るまで、ずっと目隠しの状態です。
随分もどかしいですね。
勿論、楽しいことや感動も有ると思いますが、出会いの喜びは激減してしまいます。
今日は人生の目隠しについてお話したいと思います。
「群盲象を評す」というインド発祥の寓話をご存知でしょうか。
数人の目が見えない人達が、ある日大きな象に出会います。
其々、象の鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想を語り合います。
しかし、触った部位によって感想が異なり、皆自分が正しいと主張して対立が深まってしまうというお話です。
目が見える人からすれば、全員が正しいことが理解出来るのですが、目が見えない人達はどんなに耳を傾けても違いを理解することが難しいのです。自分が触っている部分(観点)からは、明らかに違うのですから。
でも、もし全員が目を見えなくされている目隠しが取れて、象の全体を見ることが出来たらどうでしょうか?お互いに全体がわかった上で、ぞれれの部分の解析を理解し、活かし合うことが出来るようになるのです。
実は私達人間も同じです。
自分の観点に固定されていたら、相手の観点が理解できませんし、全体も理解できません。全体が理解できなければ、自分自身の観点がどのような意味があるのかも、実は理解できていないのです。
暗中模索の中で、自分の観点が絶対に正しいと無意識で確信して生きているのがこれまでの人間の現在地でもあるのです。
この状態では、自分自身の能力を発揮する事も出来ず、協力関係を構築することもできませんし、あらゆる思想・哲学・学問も疎通・統合が不可能です。観点が固定されている状態では、宗教・民族・国家においても、お互いの知恵を活かし合った協力をすることは不可能なのです。
目隠しをしたままでは、自分の観点から出発するより術がないのです。
目隠しをとった時、初めて全体から部分を理解し、活かす事が出来るようになるのです。
では、どうすれば目隠しをとることが出来るのでしょうか。
観術では、「観点の次元上昇」と表現しています。
観点の秘密、観点のOf(素材)By(メカニズム)For(目的・方向性)を論理とイメージで明確に理解できる時、観点を自由自在に応用活用出来るようになるのです。
観点の外に出た時に初めて、これまで人間がみていた自分と宇宙(アナログ認識)がどのような世界であるのかが理解できるようになります。観点の次元上昇を通して、今ここ無限に繰り返す5次元HITOTSUの動きの中で脳がみせる最高のアートを感じられるデジタル認識が可能になるのです。
観点固定は人生の目隠しのようなものです。その目隠しが外れた時、目の前に無限に広がる感動を存分に味わえるようになるのです。
皆さんも、人生の目隠しを外してみませんか?
塩見典子