連載「バナナないよね?」より 「アナザー・ワールド」 1999年 | ノーナ・リーヴス オフィシャルブログ「LIFE」Powered by Ameba

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西寺郷太・奥田健介・小松シゲル NONA REEVES

 おれがあの駅にたどり着いたのは、寝過ごしたせいだった。連日の徹夜はおれの肉体を蝕んでいたし、何もかもがどうでもよく思えていたのも理由として考えられる。とにかくおれは遠くまで電車を乗り過ごし、昼めいた日射しの美しいあの駅で目を覚ましたのだった。あいにくその日に限って時計は忘れていたし、携帯電話は充電が切れていた。どうせ金ならいくらでもあるし、1週間くらいこのまま過ごしてみるのもいいかなと、ふと思った。

 人通りの少ない駅前の商店街を歩く途中で、古びてはいるがこざっぱりした定食屋を見つけたおれはそこで焼き魚を食べ、やめていた煙草に火をつけ一服した。白く広がっていく煙りを眺めている間に、おれは今までに自分が抱いた女の名前を思い出していた。なかにはどうしても名字が思い出せない女もいたし、その弟や飼っていたペットの名前まで鮮明に覚えていたりするものもいた。彼女達はこうやっておれのことを思い出してくれるのだろうか、と考えたりもした。

 店を出た後、おれは公園を目指した。陽の光を浴びたかったからかも知れない。もう精神は自分ではない何かに突き動かされているとしかいいようがなかった。そしてふと立ち止まっておれは驚愕した。「おれは死んでしまったんだ!」見渡すと周りの人間にはみんな顔がなかった。いや、正確に言うと表情がなかった。驚いたおれは逃げ戻ったが、結局あの駅は跡形もなく消えていた。

 絶望するおれの前に、ひとりの陽気なおじいさんが現れた。彼はペットらしき土佐犬の背中に馬にのるように跨がって、こちらへ向かってきた。そして犬をやさしくなでながら「こいつはわしの友達なんじゃ」とおれに語りかけてきた。ホッとしたおれは泣きながら「わかります」と何度も繰り返した。

 すると、どうだろう。土佐犬は「クーン」と下品な声を上げ、おれの股間に濡れた鼻をあてこすりはじめた。すこぶる気持ちのよいリズムに導かれ、おれは不覚にも「土佐犬!お下劣な土佐犬!」と絶叫しながら脱糞してしまった。地面に勢いよくバウンドした糞の汁が、おじいさんの頬にとび散った。おれ達は声をあげて笑った。

(完)

西寺郷太/連載「バナナないよね?」より 1999年