2004年6月11日「オモロもろもろ先生」 | ノーナ・リーヴス オフィシャルブログ「LIFE」Powered by Ameba

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西寺郷太・奥田健介・小松シゲル NONA REEVES

 小学生の時、X田先生というとても面白い先生がいた。今から考えると、その先生は教務という仕事で、学校全体のバランスをとる役目、つまり校長、教頭の補佐から、誰か担任の先生が授業に出れないときのフォローでクラスの自習を見守ったりする、そんな役目だったと思う。

 その先生は、生徒からとても人気があった。なぜなら彼が尋常ではなくオモロかったからである。学校の先輩から伝統的に呼ばれたあだ名が「オモロもろもろ先生」。おれの卒業時には、当時デビューしたばかりの「TMネットワーク」のメンバーにちなんで、耳の早い連中は「オモロ哲哉」と呼んでいたほどオモロかった。

 その、オモロもろもろ先生。例を出すなら、フーテンの寅さんこと渥美清さんや、西田敏行さんのような雰囲気で、みんなに愛されていたのだが、楽器の名手でもあった。ある日、音楽室でエレキ・ギタ-をガンガン鳴らして弾きまくり、おれはそれを見てびびりまくり、感激した。あまりにも過激な反応をして質問攻めをしたせいか、オモロもろもろ先生は、定期的におれにレコードを貸してくれるようになった。「担任の先生に言うたらあかんで」と内緒のポーズを指でしながら、学校帰りにレコード袋に数枚の名作をいれて渡してくれる。家に帰るまでの道のりがどんなに誇らしかったことだろう。

 ハードロック、たとえばレッド・ツェッペリンの「II」と「IV」や、マイケル・シェンカー・グループ、スコーピオンズ、レインボウをおれに教えてくれたのは彼である。しかし後半、いわゆるジャパメタと呼ばれるアース・シェイカー、44マグナム、ラウドネスにはまったX田先生と、ワム!、カルチャー・クラブ、スクリッティ・ポリッティなどにハマったおれとの間には音楽的にはかなりの隔たりが出来てしまった。

 オモロもろもろ先生はその後、教頭、校長へと階段を上った。風の噂では、彼はある日突然、全然オモロくなくなってしまったそうである。


2004年6月11日
10年前の日記