08/09/2010 03:53:00 AM
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先週の月曜日(8月2日)深夜3時半。3時間以上続く原因不明の、未体験レヴェルの腹痛に耐えかね、僕はものごころついてからはじめて救急車を呼んだ
タンカに乗せられ、救急病院に運ばれていく間、苦しみと、好奇心でドキドキする気持ちの両方で高ぶっていた。なんたって今夜だけは、信号を無視したって良いのだから・・・。
その日の夜まで、僕は自宅近くの公園をジョギングするなど、いつも以上にエネルギッシュに暮らしていた。なので、いくら腹痛で救急車に乗ってきたとは言え、診察を受けた医師から「盲腸なんで、明日昼過ぎに手術します。今から一週間入院してください」と言われた時には、本気で驚いた。
「数時間後に手術ですか・・・?」
実は翌8月3日の火曜日は、新しく作ったスタジオ(名前はまだ決めてない)に新しい機材や、新しいマックがドッと運ばれて来る日だった。
それらの中には海外から輸入してきた機材も多数あり、二ヶ月くらい前から、いつもお世話になってる機材のアドヴァイザー、ブロードハンズの斉藤さんと念入りに相談し、ようやく導入にこぎ着ける、その寸前だった。僕はその日を本当に子供のように、指折り楽しみにしていた。マイケル亡き後、怒濤のように過ぎた一年を終え、遂に、改めて音楽を本気で作る環境と時間が整うのだから、嬉しくないわけがない。
そして、緊急入院には問題もあった。もちろん、仕事がいくつかあったからだ。まず、水曜日には毎週レギュラー出演している「キラ☆キラ」がある。
6日の深夜には、数ヶ月前から予定されていた静岡・浜松でのDJもあった。
そしてこれは、仕事ではないが、日曜日はサマーソニックでスティーヴィー・ワンダーを観る予定で、本当に楽しみにしていた。
ただし、正直「虫垂炎」という病気の「軽さ」にホッとしている自分もいた(なめていたらいけないけれど)。
ミュージシャンというわけのわからない仕事を十数年続け、大学に入った18歳以降、まともな健康診断も一切受けずに来た。これを機に全体的にきちんと診てもらうのは良いのかもしれない・・・、そう思った。
浜松のイヴェント・スタッフに電話をかけたところ、間近に迫っていたのにも関わらずこころよく延期を受け入れて下さり、非常にありがたかった。12月3日にリヴェンジに行きますので、許して下さい!共演予定だったミズモトアキラさんにも多大なご迷惑をおかけした。
奥田は、僕の入院の一報を聞いてメールをしてきてくれた。嬉しかった。
そこからは怒濤の日々だった。全身麻酔をして、あっという間に手術が終わった火曜日。点滴をつけつつ、へこへこ歩いた水曜日。「キラ☆キラ」には、5分だけ病院の公衆電話から生出演。
木曜日。お茶と水を飲んでよいことになり歓喜。「キラ☆キラ」スタッフからも、入院中に「クマのプーさん電報」であたたかいメッセージが届き、つい泣いてしまいそうになった。
この日、a-nation参加などで、忙しいはずの小松が大量の漫画(浦沢直樹「モンスター」全巻含む)を、お見舞いで持ってきてくれた。他にも弟・阿楠が大量の「鬼平犯科帳」を、マネージャー大林女史が「ジョジョの奇妙な冒険」を持ってきてくれたので、普段あまり漫画を読まない僕の病室は、しだいに漫画喫茶のようになった。
金曜日、土曜日と順調に回復し、日曜日朝に無事退院出来た。本来は火曜日に退院かと思っていたので、予定が早まったこともあり、時間が余るかと思ったが、あっという間だった。
タランティーノの新しい映画「イングロリアス・バスターズ」をDVDで観て、感激し、改めて90年代大好きだった彼の映画を観直したりしたのは収穫だった。
病院のベッドはぐっすり眠れたし、デトックスというか、体を隅から掃除したような感もあり、各所にご迷惑をかけたけれど、体にとって長い目で見れば良かったのかもしれないと、今は思っている。
結局、血液検査やレントゲン、CTスキャンの結果、虫垂炎以外は健康体だったので良かった。今回のことで、ファンの皆さんからも、友人、先輩方からも沢山のメッセージをもらい、心から感激しました。ありがとうございます!
まずこの夏は自分にとっても夢だった、ビルボードでの摩天楼を背にした、メロウ・ゴージャスなライヴに向けて全力を注ぎます。</div><div><br /></div><div> ともかく、まずメンバーが凄いです。
ノーナ3人に、ベースはご存知村田シゲ、コーラスに「女神」真城めぐみさん、キーボードには、僕が敬愛するいつもの冨田"YT"謙さんと、天才シンガー・ソングライター川口大輔君。
超・凄腕のミュージシャン揃いのノーナ・セヴンが、8月27日、ノーナの全時代の楽曲から選んだセットリストで、皆さんをお待ちしています。
男性も、女性もとびっきりのドレスアップで、来て下さいねっ!
ありがとう!ショコラ・ガトウ!!!!!!
2010年8月9日
西寺郷太
タンカに乗せられ、救急病院に運ばれていく間、苦しみと、好奇心でドキドキする気持ちの両方で高ぶっていた。なんたって今夜だけは、信号を無視したって良いのだから・・・。
その日の夜まで、僕は自宅近くの公園をジョギングするなど、いつも以上にエネルギッシュに暮らしていた。なので、いくら腹痛で救急車に乗ってきたとは言え、診察を受けた医師から「盲腸なんで、明日昼過ぎに手術します。今から一週間入院してください」と言われた時には、本気で驚いた。
「数時間後に手術ですか・・・?」
実は翌8月3日の火曜日は、新しく作ったスタジオ(名前はまだ決めてない)に新しい機材や、新しいマックがドッと運ばれて来る日だった。
それらの中には海外から輸入してきた機材も多数あり、二ヶ月くらい前から、いつもお世話になってる機材のアドヴァイザー、ブロードハンズの斉藤さんと念入りに相談し、ようやく導入にこぎ着ける、その寸前だった。僕はその日を本当に子供のように、指折り楽しみにしていた。マイケル亡き後、怒濤のように過ぎた一年を終え、遂に、改めて音楽を本気で作る環境と時間が整うのだから、嬉しくないわけがない。
そして、緊急入院には問題もあった。もちろん、仕事がいくつかあったからだ。まず、水曜日には毎週レギュラー出演している「キラ☆キラ」がある。
6日の深夜には、数ヶ月前から予定されていた静岡・浜松でのDJもあった。
そしてこれは、仕事ではないが、日曜日はサマーソニックでスティーヴィー・ワンダーを観る予定で、本当に楽しみにしていた。
ただし、正直「虫垂炎」という病気の「軽さ」にホッとしている自分もいた(なめていたらいけないけれど)。
ミュージシャンというわけのわからない仕事を十数年続け、大学に入った18歳以降、まともな健康診断も一切受けずに来た。これを機に全体的にきちんと診てもらうのは良いのかもしれない・・・、そう思った。
浜松のイヴェント・スタッフに電話をかけたところ、間近に迫っていたのにも関わらずこころよく延期を受け入れて下さり、非常にありがたかった。12月3日にリヴェンジに行きますので、許して下さい!共演予定だったミズモトアキラさんにも多大なご迷惑をおかけした。
奥田は、僕の入院の一報を聞いてメールをしてきてくれた。嬉しかった。
そこからは怒濤の日々だった。全身麻酔をして、あっという間に手術が終わった火曜日。点滴をつけつつ、へこへこ歩いた水曜日。「キラ☆キラ」には、5分だけ病院の公衆電話から生出演。
木曜日。お茶と水を飲んでよいことになり歓喜。「キラ☆キラ」スタッフからも、入院中に「クマのプーさん電報」であたたかいメッセージが届き、つい泣いてしまいそうになった。
この日、a-nation参加などで、忙しいはずの小松が大量の漫画(浦沢直樹「モンスター」全巻含む)を、お見舞いで持ってきてくれた。他にも弟・阿楠が大量の「鬼平犯科帳」を、マネージャー大林女史が「ジョジョの奇妙な冒険」を持ってきてくれたので、普段あまり漫画を読まない僕の病室は、しだいに漫画喫茶のようになった。
金曜日、土曜日と順調に回復し、日曜日朝に無事退院出来た。本来は火曜日に退院かと思っていたので、予定が早まったこともあり、時間が余るかと思ったが、あっという間だった。
タランティーノの新しい映画「イングロリアス・バスターズ」をDVDで観て、感激し、改めて90年代大好きだった彼の映画を観直したりしたのは収穫だった。
病院のベッドはぐっすり眠れたし、デトックスというか、体を隅から掃除したような感もあり、各所にご迷惑をかけたけれど、体にとって長い目で見れば良かったのかもしれないと、今は思っている。
結局、血液検査やレントゲン、CTスキャンの結果、虫垂炎以外は健康体だったので良かった。今回のことで、ファンの皆さんからも、友人、先輩方からも沢山のメッセージをもらい、心から感激しました。ありがとうございます!
まずこの夏は自分にとっても夢だった、ビルボードでの摩天楼を背にした、メロウ・ゴージャスなライヴに向けて全力を注ぎます。</div><div><br /></div><div> ともかく、まずメンバーが凄いです。
ノーナ3人に、ベースはご存知村田シゲ、コーラスに「女神」真城めぐみさん、キーボードには、僕が敬愛するいつもの冨田"YT"謙さんと、天才シンガー・ソングライター川口大輔君。
超・凄腕のミュージシャン揃いのノーナ・セヴンが、8月27日、ノーナの全時代の楽曲から選んだセットリストで、皆さんをお待ちしています。
男性も、女性もとびっきりのドレスアップで、来て下さいねっ!
ありがとう!ショコラ・ガトウ!!!!!!
2010年8月9日
西寺郷太