る北陸の震災被害、心が痛いです。被災された方々に一刻も早く穏やかな日常が戻ってきてくれることを心から祈っています。
前回の更新から一ヶ月が経ってしまいました。
なかなかプラグが更新できなかったのには理由があります。
15年来介護をしている父と、最近介護を手伝いはじめた妹。今までも何もなったわけではないけれど、年始早々事件が起き、その対応めぐって、メンタル的にズドンってきててー
被災された方々の窮状思ったら「何を言ってるんだろう、甘えたことをー」と自分でも思うのですがー心は晴れなくて
一ヶ月経ち、少しいつもの私を取り戻したかな?ってー思ってます。これからはまた皆さんのプログ訪問させていただきます。遅ればせながら今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ここからは思いっきり愚痴になるのでどうかスルーしてくださいねー
そもそも母が癌で闘病中から、実家から五分のところに住む長女の私が、看病と介護を担ってきていたのですが、
13年前に母が亡くなり、
当時80歳家事能力ゼロの父が一人暮らしとなったのです。1日おきに実家に食事を届け、車をだして、病院の送迎をし、週2.3.回は私の家に招いたりして日々を送っていたのです。
が、6年前私が車椅子♿️になった頃から、穏やかだった父が暴言を浴びせるようになり
「◯◯銀行はなんでお姉ちゃんみたいなババアを雇っているんだ」とか
「妹は若く見えるのに、お姉ちゃんはなんでそんなにブスでババアでいるんだ」とか
「そんな体では使い物にならない」とか
「当てが外れた」とか
「私のご飯が作れないなら、あなたのヘルパーに作らせてもってこい」とか
車椅子♿️になっても、友人やこのあたりの方の暖かさを感じる分、身内のつめたさや暴言がとても辛く、苦しい日々でした
昨年の人工膝関節痴漢術の手術を機に、介護のキーパーソンを妹に代わってもらい
手術して車椅子を卒業したら
父は以前の彼にもとって
いつ会ってもニコニコして
「ありがとう」とか「お大事に」などの気遣いも見せるようになってホッとしていたのです
嫌だったんだなあー娘が障害者になったことがーって思ってました。母親って子供の病気に献身的になれるけど、父親って違うんだなぁーって思ってました。
ところが1月4日
朝に関節が痛むので入浴をして温めて、髪を洗って出てきたら、
携帯を見ると知らない着歴が4件もあるんです。
「?」と思ったらまた同じ番号がなるので、恐る恐る出てみたら
「そちらに○○○○さんいますか?こちら消防隊です。緊急通報がなったのでお父さんの自宅に来ています」
「鍵が開かないのでお隣の人に聞いたらよく長女さんの家に行ってるというので電話しました」
「玄関と窓ガラス割っての侵入許可もらえますか?」
Anne「最初に通報あったのは何分前ですか?」消防隊「27分前です」
昨日会った時は父は元気だったし、お餅を喉に詰めたから?あんなにお餅はダメと言ったのにかいうことを聞かないからーでもお餅としたらー
頭はぐるぐる回り
Anne「木曜日なのでデイサービスかもしれません。電話してみるのでその時間だけ待ってもらえますか?鍵を持っているので私もすぐそちらに昌います」
消防隊「わかりました。この電話は繋がるようにしておいてください。
待つことで手遅れになった場合はそちらの責任となりますのでよろしくお願いします。
娘さんどのくらいで来れますか?」
Anne「10分ーーー」
「いや5.、5分でー』
というわけで実家の鍵と携帯を握り、実家に向かって走って?しまったんです。
実家の前に着くと、パトカーと救急車が止まっており、エレベーターホールには担架があり
父の家の前には7人の消防隊と近所の人、警官2人が来ていました。
私が持ち込んだ鍵を開けてみんなで部屋の中を捜索しても父はいなくて
そんなこんなしていたら、デイサービスから電話があって
デイサービス「お父様こちらに到着しました』
あー無事だった!!緊急電話の誤作動だったー
ということで、消防隊と近所をまわってお詫びをし、
警察の事情聴取受け(これがなかなか長い!こんな時に写真付きの身分証明書って持ってないさー)
その後、妹に電話して事情を話し、ご近所にお詫びの品を買ってお詫びに伺うことにしてー
一件落着!
それにしても第一通連絡先の妹は何をしていたんだろう?自宅にいたのに?と疑問だったり、もっと早く電話に気づいていれば消防隊到着前に安否確認できたのでは?と思ったりー
家族には
「今回どんなことがあり、その後足が痛くなったり、寝込んだらしていたことをちゃんと話したほうがいいのでは」と言われていたのですが、
伝えてどうなることでもないし、
なかったことにしようと思っていたのです。
ところが、事件1週間後、父に会うと
一年前の不機嫌で感じの悪い父がそこにいて
何を話しても揚げ足をとって嫌な気持ちにさせられることばかり。
挙句「お姉ちゃんは自分のことしかしない、それはずっとだー」
と言う言葉をきいた時
私の中の何かがプツンと切れたのです。
ANNE「親戚の叔母たちにはそんなふうには言われないけどなあー」
と言うのが精一杯で、
年末からお正月三ヶ日毎日実家に呼ばれていた最後の4日の救急隊騒ぎだったのになあー
自分のことだけー
事件の日、心配のあまり火事場の馬鹿力で実家まで走ってしまった代償は大きく、夜に手術以来の膝の痛みで眠れなくなり、翌日手術を受けた大学病院の外来にに飛び込んで、再手術の恐怖に怯えて「あーやってしまったあー」って悶々としてはいましたが、
自分のことだけー
どうすれば良かったんだろうー
と眠れぬ日々が続いたのでした。
先日、CPAPのメインテナンスで循環器内科をおとずれると、
一月の睡眠時間が、2時間切っていてー
ドクター「睡眠時間が激減していますが、何かありましたか?」
ANNE「一月に入ってから眠れなくてー
導入剤とか睡眠薬とか処方お願いできますか?」
ドクター「お薬に頼らないほうがいいと思います。
原因がわかっているのですから、冷たいようだけれど、スアレスの元となる人とは距離を置いて離れてください」
いいんだあー無理しなくてー
ちょっぴり心が軽くなった瞬間でした
あまり無理せず、できることを粛々とやることにしてー
ほんとに長くなりました。お付き合いいただきありがとうございました。
三島ウォークからの富士山と葉山の夕日ー
富士山と夕陽は疲れ切った心を温めてくれましたー