日立電鉄 その3 | きゅうの鉄道写真館

きゅうの鉄道写真館

きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



こんにちは。
本日は日立電鉄の車両編です。


はじめに訂正を2つ。
前々回モハ10と書いた電車はモハ9、
日本最初のワンマン実施については
2番目の誤りでした。(すみません)
ワンマン運転の最初は関鉄龍ヶ崎線で
2ヶ月ほど早かったそうです。


では本題にもどりまして、
個々の電車を紹介していきましょう。




< モハ9形 >





モハ9
1943年 日立製の14m級です。
同型はモハ9・10の2両ありました。
元々は両端とも非貫通で、63年に
モハ9は鮎川側、10は太田側に
貫通路を設置し連結運転可能に改造。
つまりモハ10はパンタ側が貫通に
なっていました。


モハ9
前々回モハ10と書きましたが
モハ9が正でした。




< モハ11形 >




モハ11
1948年 日立製の16m級です。
同型は11・12の2両ありました。
営団1200形として完成した車体を
先に自社系列の日立電鉄に横流しした。
営団1200形が納車期限に
間に合ったかどうかは知りません。(?)





モハ12
モハ9形と同様に
モハ11の鮎川側、12の太田側を
貫通化し連結運転可能になりました。
モハ12の鮎川側がオリジナルの
雰囲気を比較的残していました。


営団1000形 (交通博物館)
確かに似ています。
ゲージは1435mmです。




< モハ13形 >




モハ13


モハ13~16の4両が同型です。

ルーツをたどると相当なクセ者で、
1935年 汽車会社製の気動車で
相模鉄道(現在のJR相模線)に配備
相模線が国鉄に買収されると合併した
旧神中鉄道(現相模鉄道)に移り
電車化されたそうです。
元々が電気式気動車(機関で発電し
モーターで走る)だったので、電車化
改造はしやすかったのかな?


モハ14




モハ15


モハ16


なんとなく気動車っぽく見えるのは
塗色や台車だけでなく、そのルーツも
関係しているのかも。(先入観?)


日立電鉄に移籍したのは1948年。
相模鉄道以来スラントノーズでしたが
1965年に現在の切妻タイプに
改造されました。
モハ13~16も先例と同じく
片側に貫通路があります。
(奇数号:鮎川側、偶数号:大田側)


改造前の姿
もちろん実物は見たことがないので
T誌の記事を勝手にお見せすると…
(著作権上 具合が悪いので

 小さめに雰囲気だけ…)




<100形 >


クハ109


クモハ110
1979年に静岡鉄道から移籍、
塗色、番号もそのまま使用しました。
それ以前の日立電鉄はクリームと黄色
の塗分けでしたが、100形入線以降
在来車の黄色をオレンジに変更して
100形に合わせたそうです。




< 350形 >


クモハ352 + 351


クモハ351


クモハ352
1984年 静鉄から移籍しました。
入線時は銀色車体に青帯でしたが、
検査入場後、標準色になりました。
モーターや制御機器は100形と共通。




< モハ1000形 >


ラッシュ時の4連


モハ1000形は日立電鉄の動力車では
最大両数を誇りました。(旧型時代)


日立電鉄での形式分けは単に形の違い
だけでなく、連結できるかどうか、も
意味に含まれていました。
中古車の寄せ集め状態でしたので
制御機器が違うため 他形式どうしの
電動車は連結できなかったとか。


モハ1004


モハ1002 (中間電動車)


サハ1501 (サハ1500形)


モハ1005


4連 : 一応固定編成です。
検査入場時は他のモハ1000形が
代わりに組み込まれます。





モハ1003



モハ1006
ワンマン設備つきです。


モハ1007


モハ1008



モハ1009


モハ1000形は大元をたどれば
小田急モハ1でした。
小田急全通時1927年 日車製で
18両製造されたそうです。


大東急時代に相模鉄道に一部が移り
その後1960年から日立電鉄への
移籍がはじまりました。

1979年にモハ1007~9が移籍した

結果 最終的に10両が集結しました。


2回の日立電鉄訪問では残念ながら

モハ1001は見かけませんでした。
サハ1501は移籍時 すでに
モーターがついていなかったそうです。


モハ1007~9は相模鉄道時代に
荷物電車化され中央のドアが2枚で
開口部が広くなっています。
モハ1の図面と比べると客窓4枚だけ
(Hゴムでない窓)がオリジナルのまま残り

パンタのランボードやベンチレーター
の位置もそのままで、シルエット的には
モハ1の面影が一番残っていました。




< モハ1300形 >


モハ1301
元は1929年製 宇部鉄道のモハ22で
国鉄富山港線を経て1957年に入線。
仲間が計4両いましたが、3両は廃車
モハ1301が最後まで残りました。




< クハ2500形 >



クハ2503


クハ2504


1979年 相鉄からモニと一緒に移籍、
クニからクハに戻されました。
窓配置に旧型国電の雰囲気が残りますが
その前身は、国電クハ16と青梅鉄道の
モハ500だそうです。



さて 私の出合った旧型電車は以上です。
2回目の訪問は1991年10月3日で
翌月11月26日から2000形の
営業運転が始まりました。



雑誌の切抜き




営団2000系の車体に3000系の
足回りを組み合せたもの。
銀座線と日比谷線の合体です。


日立電鉄に来てからは
2連がモハ2000形+クハ2200形
単行(両運車)は3000形でした。


これらの新しい中古車(?)たちも
2005年3月末で運行終了、
日立電鉄の鉄道事業は消滅しました。




< おまけ >


キハ40
終点の常北太田は、水郡線の常陸太田と
向かい合っていたので、太田に行けば
キハ40も見かけました。


JR東日本のキハ40・47系も、
そろそろ終焉が近づいているようですね。


キハ47 515 (只見)
10月27日のイベント列車だそうです。
(SUNちゃん提供)




本日もご乗車ありがとうございました。