鉄道車両カウントダウン 63 | きゅうの鉄道写真館

きゅうの鉄道写真館

きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。




《鉄道車両カウントダウン》
平成の終わりまでを鉄道車両の写真で
カウントダウンしよう、と始めた企画です。
平成終了まであと63日。
ということで本日はEF63の特集で…



EF631 (碓氷鉄道文化むら)
碓氷峠の歴史を語るには
東京と日本海側を結ぶ鉄道計画の始まり、
信越本線が横川まで到達した明治18年
まで遡らなければなりません。
それは大変なので割愛して、昭和38年に
ラックレールを使用するアプト式から
粘着運転に切り替わるところから。
その前年、1962年にEF621とEF631の
試作機2両が誕生しました。
両機とも翌年から生産された量産機に合せ
改造されましたがひと足早く引退、
保管されてきました。
よく見ると運転室窓付近やスカートなど
デザインの違いが目に付きます。



EF632
アンテナが付く前の姿です。
就職して一眼レフと中古車を手に入れると
行動範囲が飛躍的に広がった頃の撮影行。
後ろはクモユニと115系が計4両。
EF63重連で無動力状態の電車等を牽き
8両まで峠を越えるパワーがありました。
(185系なども無動力だった)





輸送需要が高まり編成が8両を越えると
電車の協力が必要になり(協調運転)
169、189、489系などの末尾9の
車両がうまれてきたわけです。



横川機関区
峠のシェルパたちの基地でした。
右奥に急勾配を登る本線が見えますが、
ここではまだ25‰です。
丸山を過ぎると最大66.7‰になります。
すごいですね。



茶ガマのペア
碓氷峠の末期、18・19・24・25の4両
がリバイバルカラーで茶色になりました。
うるさいことを言うと、茶色だったのは
最初の13両のみで14号機からは青で
デビューしたそうですが…
たまたま上記4両が全検にあたった、
ということだったみたいです。
(その後、青に戻りました)



鉄道文化村の体験運転
こちらが現在の様子です。
短い区間ですが
線路上を走る姿を見られるのはすごい。
それではEF63の特徴的な部分を
クローズアップして見てみましょう。



EF632



2エンド側連結器部分
双頭連結器とジャンパ線受など。
反対の1エンド側はシンプルです。



電磁吸着ブレーキ
非常時用です。 両端台車。



滑走検知用の遊輪
中間台車。



EF63同士の連結状態



それでは思い出のシーンをもう少々。



三重連
EF62はEF63との協調用に
同時に誕生しました。
碓氷峠を通過する客車列車や貨物は
EF62が牽引することになります。
上り列車(峠を下る)は三重連になり
とても迫力がありました。


丸山変電所跡




霧積へ向かう途中
「母さん僕のあの帽子…」の霧積です。
この付近の景色とても印象に残っていて
KTMの鉄道模型入門セットの箱に
使われていました。
私と同じか少し上の鉄道少年には
あこがれの品物だったと思います。
模型店のウインドウに飾ってあるのを
眺めてはため息をつきました。



古いカタログに出ているのを発見。
右のH10セットで8900円
ED100と客車2両に
450Rに直線4本とパワーパックです。
みんなこのへんから入門したものですが
私の入門はさらにチープでした。
その件はまた今度。



本日もご乗車ありがとうございました。