こんばんは。
博物館シリーズが続いていますが
本日は鉄道博物館にご案内します。
交通博物館に代わって
2007年にオープンしました。
もう10年になるのですねぇ。
私は去年の暮れ、
ようやく見物に行ってきました。
大宮から埼玉新都市交通で1駅。
1.5㎞、2分、185円です。
歩いたって20分ほどだし、
ホームに上がったり、
待ち時間やもたもたしてると
時間的にも大差ありませんが
鉄道博物館に行く、という目的には
新交通に乗るのがふさわしいです。
鉄道博物館駅です。
ほんとうに「あっ」という間に着きました。
(やっぱり185円もったいないかなぁ?)
てっぱく開業で大成駅から改名しました。
改札を出ると、そのまま高架下が
てっぱくのプロムナードです。
車輪があったり、
レンガの装飾は万世橋を思い出させます。
あっ、D51の顔!
交通博物館の入口にあったものですね。
修学旅行電車も
交通博物館でお馴染みだったもの。
こんなプロムナードを進みエントランスへ。
スイカをピッとやって
なんとなく入ってしまいました。
あーっ入口を撮るの忘れました。
最初はやはり1号機関車。
ホームの裏側は弁慶号です。
7100形は残存率が高くて
義経、弁慶、静の3両ありますね。
こちらは善光号。
シリンダーが見えません。
台枠の内側にある変り種です。
空間の狭い狭軌では珍しい構造です。
その隣の古ぼけた木造車は・・・
松本電鉄から譲り受けた車両ですが…
国電の始祖、甲武鉄道のハ9形から
国有化でで院電のデ968となり、
信濃鉄道ハ6、ロハフ1と変身、
筑摩鉄道(後の松本電鉄)に移り
ハニフ1となりました。
信濃鉄道に払い下げられる時点で
電装を外され付随客車となっています。
無理に復元せず、ハニフ1形のままで
展示されています。
もう1両、こちらはナデ6100形の
ナデ6141・1914年製(大正3年製)で、
ボギー車登場の頃の電車です。
昭和62年に走行可能なまでに復元、
大井工場構内で走行が公開されました。
あ、ホームの駅名票は「まんせいばし」だ。
マイテ3911
1号機関車の向かい側は
富士のテールマークをつけた展望車です。
C51と一緒に青梅で展示していた車だな。
テールマークがインチキですね。
こりゃたぶんEF66のヘッドマークで
本物はあんどん式の照明入りのはず…
となりのオハ31は芦野公園から来て
復元されたものです。
こういう汽車に乗ると、
隣のボックスの子どもが
よく顔を出したものですが、
そんな汽車旅も懐かしいものとなりました。
あーっ!
怪しいおっさんが撮ってる!!
クモハ40074
クモハ40の後期形(半流)です。
後ろを振り返ると・・・
女子高生が乗っています。
セーラー服がクラシックだな。
さて目を右に転じると
上野駅が再現されていました。
ED75775(あけぼの)
ED75は上野には来れないけど
ごあいきょうということで。
反対側はカシオペアです。
ホームに停車中はクハ481-26
ヘッドマークを取替え中です。
かつて少年時代に見たことがある風景です。
モハ484も連結されています。
旅行気分で乗ってみましょう。
1号車2番A席はどこかなー? と…
「ここでーす」
うしろに見えてるのは
常磐線のときわかな?
あーっ! 6107Mだって。
まつしま3号・仙台行き1515発です。
さっきの特急は1258着のひばり2号が
1415発のあいづに変身するシーンかな?
時刻が少しずれるしホームも隣だけどね。
さらに隣にはクハ181-45の
「とき」が停まっています。
私が上野駅で見た時代の「とき」は
あずさと共通運用になっていた関係で
(中央線のトンネル断面が小さい)
運転室の上のライトがなかったので
赤ひげと屋根上ライトの組合せは
少々違和感を感じます。
ナハネフ22-1です。
乗務掛さんが寝台をセット中。
3段寝台は中段が低く頭がつかえるので
深夜発以外は途中でセットしていました。
寝台の使用時間は21時~翌朝7時まで、
と時刻表にも表示されていました。
実際にあさかぜに乗ったときに
途中で寝台を組立てにきたことを
覚えています。
さて、だいぶ長くなりましたので
続きはまた次回にしたいと思います。
本日もご乗車ありがとうございました。
ところで…
ブログを書くにあたって
参考にさせていただいた文献では
ハニフ1の前身はデ968となっていましたが
てっぱくの公式HPではデ963になってます。
台枠に標記が消え残っているそうですので
今度行ったら確認してきたいと思います。