こんばんは。
前回に続き、381系の後編です。
しなのに続いて採用されたのはくろしおでした。
しなのに5年遅れ1978年、新しく電化された
紀勢西線へ導入、阪和線を経由して
天王寺・新宮を結びました。
紀勢西線用に増備された車両は前面貫通路を
廃止し、100番台となりました。
天王寺駅では阪和線の高架と地上を結ぶ
連絡線を設置し、環状線経由で新大阪、
更に京都まで足を伸ばしました。
環状線から新大阪方面へは、大阪を通らず
梅田貨物駅を通過する貨物線経由というのも
興味深かったですね。
電化される前の紀勢本線では
80系気動車特急が活躍していました。
始祖であるキハ81は交通科学館から
梅小路に移動し今も保存されています。
381系が投入された紀勢西線ですが、
蒸気機関車時代に遡る古い路線ですから
極力勾配やトンネルを少なくするため、
等高線に沿って海岸近くの地形を
丹念にトレースしていきます。
そのため、急カーブ連続の線形となり
まさに381系の本領発揮といえる路線です。
次の写真2枚を見比べてみてください。
ほぼ同じ場所を通過する2態ですが
国鉄特急色の方は振り子していますが
スーパー色の方はしていません。
走行速度の差なのでしょう。
繰り返しになりますが
時速50km以下では振り子装置はロック状態
50km/h超で振り子し、角度は5度です。
スーパーくろしおの塗色はきれいでしたね。
常に潮風を浴びる路線なので、車体洗浄を
こまめにしないと、すぐに汚れてしまいます。
経年を重ね、リニューアル工事を実施した車は
オーシャンアローと似た塗色になりました。
くろしおから381系が引退したのは昨年秋で
記憶に新しいところですが、しなのは?
ちょっと検索してみたら、2001年で
長野オリンピックが終わったあとだそうです。
そして現役で残るのは、やくもだけになりました。
381系やくもは伯備線の電化に伴い
陰陽連絡特急として走り始めました。
岡山で新幹線と接続し、山陰への
時間距離は格段に短縮されました。
やくもの名称は気動車特急時代からです。
まつかぜとともに山陰のクイーンでした。
小泉八雲に因むことは周知のとおり。
伯備線は電化と同時に線形の改良も行い
大幅な高速化が実現しています。
伯備線といえばD51三重連、では
あまりにも古すぎますが、
高梁川に沿って景色の良かった線路が
コンクリート橋で斜めに川を横切り、
トンネルが直線で山をぶち抜く線形になり
電化後初めて乗ったときはショックでした。
それでもまだカーブは多く、伯備線も
381系の本領発揮となる線区ですね。
これらの写真はブルトレの出雲を撮ったとき
ついでに撮ったものです。
くろしおのときもキハ82のついででした。
381系にはちょっと気の毒な気がします。
このときは基本6両+付属3両が標準編成。
3両の回送が必要になると
こんな編成で走っていたのですね。(玉造)
今は4両が標準ですが、本数は倍です。
くろしおから移ってきた車両も大活躍です。
編成の短縮化で先頭車が不足し
中間車からの改造先頭車も登場。
この写真など客ドアの後ろで
切り継ぎした様子がうかがえます。
なんか模型の切り継ぎ工作みたいです。
元が電動車なのでクモハになりました。
そんなやくもですが、更新の時期を迎え
藤色や緑、赤のアコモ改善車が登場。
個人的には、その後山陰への旅行はなく
残念ながら撮っていません。
さて福知山線では485系改の183系が
活躍していましたが老朽化が目立ち、
新車への置き換えも進みます。
なかなか一気に、というわけにもいかず
日根野からつなぎに移された仲間がいます。
こうのとり、はしだて、きのさきでしたか。
当初は振り子は固定でしたが、
新車が走り始めると乗り心地の差が目立ち
振り子を再稼働させることになりました。
建築限界や架線、レールへの影響の都合で
振り子角を3度に改造したそうです。
こちらの381系もくろしおと同時期に
運用を終えました。
おそらく伯備線での運用で
終焉を迎えることになるでしょう。
技術の進歩で制御振り子が当たり前の昨今、
時代遅れの自然振り子が消滅する日も
そう遠くないことでしょうね。
本日もご乗車ありがとうございました。