京福電鉄・福井支社 | きゅうの鉄道写真館

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きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



こんにちは。

京福電鉄の京都編が終わったので

今日は福井に飛びます。

ご存知のとおり京都と福井に路線を持つことから

京福電鉄の名前がつきましたが、

結局三社バラバラになってしまいました。


訪問したのは1993.4.30~5.1です。

到着したのは4.30の午後遅く。

あいにくの雨模様ですが京福電車の色は

しっとりと雨天によくマッチしていました。





越前野中駅付近です。

これは2201形、最初の1枚は2101形です。

いずれも阪神の中古であることは一目瞭然。

軌間が違うので改造車です。

2201形はDT21を履いているようですね。





轟(とどろき)駅です。
モハ3001形は南海出身ですね。

京福電鉄は、正面衝突事故を2回おこし

保安対策がなってないと営業停止をくらい

このまま廃止かと思われました。

しかし沿線の過疎化を食い止めるのに

必要な足だとして自治体の援助も入り

からくも3セクとして存続がかないました。


その際、利用者の少ない永平寺線は廃止、

三国芦原線と越前本線を引き継いで

えちぜん鉄道として再出発しました。






東古市駅です。

永平寺線が分岐します。

運転系統は独立していて

4月30日は1101形の単行で運転していました。

側線には日車標準型の251が留置されていて、

翌日から251形2連で運行されたので貫通側を

見られたのはこのときだけでした。




日が替わって5月1日朝。

252が連結されて永平寺線ホームは

2輌でいっぱいになりました。






東古市を発車した各線の電車です。

永平寺線は大きく右にカーブし勾配を登ります。

しかし、この急坂があだとなり、2000年12月、

ブレーキロッドが破断した251は

東古市に停まれず、そのまま本線に走りこみ

モハ1101と正面衝突してしまいました。

ちなみに、その半年後2001年5月には

新製の5001形が交換駅で対向列車を

待たずに発車し、正面衝突。

そのまま営業停止、10月に廃止となりました。






永平寺線は永平寺にむけて

ずっと上りの片勾配です。

特に終点が近づくと左右から山がせまり

山深い雰囲気になってきました。

 

251形MM編成が

吊掛けモーター音を響かせ

勾配を登ってくる姿は見ものでした。





終点の永平寺駅です。

両側から谷がせまり、

やっと2両分の水平な敷地を確保。

駅前広場の用地がなく妻面から出入りします。


ここから永平寺までは徒歩10分弱ですが

お参りしませんでした。

当時はばりばりの撮り鉄で

観光にまで目がいきませんでした。

もったいないなあ。

今なら逆転して、観光メインで

ついでにちょっと電車を撮るだけですが…


でもそのおかげで何千枚という大量のネガが残り

今こうして楽しめているわけですが・・・





永平寺から2つ戻ると京善という駅があります。

まわりの民家や駅は、日本の田舎駅の原風景

といえるようなたたずまいで、よろず屋さんの

ホーロー看板に思わずシャッターを切りました。






もうひとつ戻ると諏訪間駅です。

こちらはホームのベンチで寅さんが

居眠りをしていそうな雰囲気があります。






余談ですが、金鳥の看板は全国的に

あったような気がしますが、

房総方面はアースが多かったと思います。

由美かおるの足にどきどきするヤツです。


さらに蛇足で、東京近郊の駅の架線柱には

たいていノザキのコンビーフがありましたが

最近見かけなくなりましたね。





2001年の事故以来、

2年間営業を停止していた電車ですが、幸い

3セクとして2003年7月にリスタートできました。


永平寺線はなくなってしまいましたが、

あの厳しい状況から路線の大部分が

復活できたことはとても良かったと思います。





福井駅に戻りました。

今回の旅はここでおしまいです。


電車の名称も形も色も変わり

車掌ならぬアテンダントが乗務するようになり

鉄道の情景は一変しましたが、

車窓から見る風景はあまり変わりません。


また機会を見つけて、

今度は永平寺にもお参りしたいと思います。

(バスでね)




本日もご乗車ありがとうございました。