こんにちは。
今日は三条から東山方面に路面を走り、
山を越え琵琶湖のほとり大津とを結ぶ電車
京津線について書きます。
京都・三条通りには東山へ登り、峠を越え
大津へ至る電車、京阪電鉄京津線が走っていた。
京津線の三条駅は東山方から三条大橋に向かって
橋の手前で左に直角に曲がったところにあった。
そして大阪・淀屋橋からの京阪本線も鴨川に沿い
地平で京津線の駅と接続していた。
やがて京阪本線のほうが先に地下へ潜り
鴨川のほとりから姿を消しました。
まずはその懐かしい風景から。
かつて京阪本線は七条から三条までの区間は
鴨川沿いを走っていましたが、現在この写真を見て
懐かしいと思う人はどれくらいいるでしょうか?
1982年夏の撮影です。
それでは本題の京津線のほうに戻ります。
1992年7月、所用で大阪に出かけたついでに
ちょっと京都に寄って京津線を追ってみました。
阪急で河原町まで行き、三条まで歩きましたが
すでに京阪本線は地下に潜っていました。
この日は、三条から沿線を撮り歩くことにします。
道路側から三条駅を見ると、左へカーブした複線が
突き当たり、手前にダブルクロスがある構成は
昔と変わっていません。
三条駅は普通の電車と同じようにホームがあります。
なぜそんなことを言うかはのちほど。
三条を発車した600型 準急・浜大津行きです。
準急・三条行き、700型が通過しました。
あ!車掌が乗っていますね。
しかも車掌かばんをたすきがけにしています。
こんな姿も過去のものです。
そして東山三条に停車する80型です。
もうお気づきでしょうか。
路面区間の中間駅はホームがなく
低い安全地帯しかありません。
そのため停車する電車は低いドアとステップが必要。
向こう側に停まってる写真では右足をステップにかけ
乗り込もうとしている乗客がいます。
80型はこの可動式のステップが装備されていますが
600型、700型にはついていません。
ゆえに路面区間は停車しない準急に600・700型を、
各駅停車に80型をと使い分けていました。
しかしこの安全地帯という設備は今では考えにくい。
前は電車ぎりぎり、一歩後ろに下れば車道に転げ落ちる
スマホなど見てたら電車に衝突します。
車も少ない、電車ものろい、
のんびりした時代だからこそありえたのかもしれません。
東山三条を過ぎて少し先に歩道橋がありました。
上からの眺めはこんなふうですが、
ウソみたいに車が少ないですね。
ずっとこんな感じなら
電車も地下に潜らなくて済んだでしょうに・・・
瓦屋根がとなりの家と接するような造りのまちなみは
いかにも京都風。奥行きが深い細い路地があります。
三条通りは蹴上で山すそに突き当たります。
蹴上電停を準急が徐行で通過します。
こうして見てもやっぱりぎりぎり。
危ないなあ。
蹴上で大きく右に曲がった電車は道路から外れ、
いよいよここから急勾配に挑みます。
蹴上には琵琶湖疏水や発電所、インクラインなど
近代産業遺産が多数あります。
見にいきたかったのですが時間の都合でまた今度。
と思いつつ、いまだに見にいってません。
勾配票は66.7‰を示しています。
国鉄→JRでは特殊な設備を要する最急勾配を
MM編成の電車はあっさり上り下りしちゃいます。
登り始めて一つ目の駅、九条山に着きました。
できれば車庫のある四宮まで行きたかったのですが
そろそろ時間切れです。
まだ所用が残っている大阪に戻らねばなりません。
続きはまた今度と思って三条行きの電車に乗りました。
お気づきかもしれませんが
私の「また今度」はあてになりません。
結局、一期一会でいつの間にか廃止されてしまった
なんてことがままあります。
逆に言えば、たとえ一度でも乗ったり撮ったりできたことは
大事な財産かなー、とも思えます。
夏の一日、汗をかきかき京津線を撮り歩いた記録でした。
本日もご乗車ありがとうございました。