流鉄100周年記念の5回目です。
流鉄(流山鉄道)は今年3月14日
開業100周年を迎えます。
これをきっかけに、今まで流鉄なんて知ら~んという人にも
ちょっとだけでも感心を持ってもらえたらなーと思ってます。
さて本日は元西武の551系2両編成が2本登場します。
流鉄では1300系を名乗りました。
なの花 昭和59年11月~平成9年2月3日
名前の由来は、もちろん塗色から。
あかぎ(赤城) 昭和62年12月~平成13年5月21日
名前の由来は、塗色も関係しますが
日光男体山と喧嘩して負けた上州赤城山の一部が
当地に流れ着いて流山の地名になった伝説から。
これで電気代の安い2両編成が2本そろいましたので
3両編成はもっぱら平日の混雑時中心の運用、
2両編成は平日の日中と土日休日、と分担されました。
では、今の季節にふさわしいシーンをご覧ください。
なお、菜の花は何年間か気まぐれで種を撒いたようですが
現在はやめてしまったようです。
桜の見ごろは1週間ほどしかありませんので
なかなかタイミングがあいません。
今年は久しぶりにチャレンジしてみましょうか。
混雑時3両、閑散時2両という運用パターンが
確立したため、休日撮影中心の趣味人にとっては
3両編成に出会うチャンスは少なくなりました。
ところで、なの花が全面広告電車になった時期があります。
たぶん1年間か、もう少しだったかもしれませんが
このとき1回きりで、他の車輌に及ぶこともありませんでした。
かわいいデザインで、個人的には好きでしたが・・・
(幼稚園バスみたい!?)
あかぎのデザインも乙だかNだか判りませんが
これ一代だけで消滅しました。
その後は現在のNの斜体に統一されていきます。
このころの電車で西武カラーのローズとベージュ
なんてリバイバルをすればおもしろかったでしょうが
流鉄には無駄な金を遣う余裕はまったくありませんし、
趣味人に来てもらうよりも、毎日地道に数多くの利用がないと
単価が安い(区間が短い)ので経営は成り立ちません。
立地的にも観光路線にはなりえないのです。
※最近、地元アイドル撮影会?などもやっているようですが
2番煎じじゃあね・・なんかパッとしません。
休日の流山駅です。
動いているのは2両編成のみ。
3両編成は惰眠をむさぼり、庫には出番のなくなった1101が
しばらく残っていましたが(入替用?)いつのまにか消えました。
現役時代は自連でしたが、密連に交換されていますね。
もう1ヶ所見所をご紹介しておきます。
馬橋駅で下車して流山方面に向かうとすぐ
流鉄、武蔵野線、常磐線を一跨ぎする歩道橋があります。
流鉄は絵になりませんが、常磐線や武蔵野線の連絡線は
上から眺められるのでちょっと楽しいです。
流鉄100周年その2のときにズボンを種だらけにして
荒蕪地をこいでたどり着いたこの場所も、
現在は住宅が立て込んでたどり着けなくなりました。
契約期間が終わり、コマツ色から戻されたなの花は
色合いが少々変わりました。
時の流れとともに車輌も代替わりします。
次回はステンレス補強板つきの電車が登場します。
本日もご乗車ありがとうございました。