私の卒業した都立高校には
信州小諸に山荘がありました。
格安で泊まれる山荘を足がかりに
飯田線へ行くことにしました。
1975年8月です。
はりきって新宿発の夜行に乗りましたがあいにくの雨
しかも、けっこうしっかり降っています。
沿線を撮り歩くつもりでしたがあきらめて
機関区のある伊那松島で下車しました。
当時、伊那松島にはED18・3輌、ED19・6輌が
配置されていました。
この頃は鉄道ジャーナル誌を購読するようになり
機関車運用の鍵が載っていたので伊那松島へ
行ってみた、というわけです。
鍵(かぎ)というのは運用図のことで
拠点から何列車でどこそこへ行き、何列車で折返し
何列車で拠点にもどる、みたいな運用を、
縦横の線で櫛の歯のように書いた図のことです。
ダイヤと違い途中駅の時刻は判りませんが予想でき、
伊那松島のような区切りの駅は時刻が載っています。
雨もひどいのでホームの屋根の下でがまんしました。
鍵から機関車を交換することが判ったので待っていると
ED19がワフを1両牽いてきて、解放、引き上げ・・・
待機していたED18が連結、出発していきました。
ワフの回送みたいな列車に機関車の競演とは贅沢です。
少し小降りになったので、機関区を訪問します。
伊那松島機関区には電車の配置もあり
旧型国電もごろごろしていました。
後年は旧型国電と注目されますが、当時は
普通の電車だったのであまり気にしませんでした。
撮ったのもこの3枚だけ。
乗っているわけだし、駅でもずいぶん見ましたが
1枚も写真がありません! (もったいない)
興味はもっぱら機関車に向いていたようです。
このときも、アポ無しの突撃訪問でしたが
事務所の方が案内してくれました。
それどころかお茶までごちそうになり
いろいろ話をきかせてくれましたが、忘れちゃった。
ところで私の姿からご想像できるとおり、
自転車で和田峠を越えて小諸へ出ようと計画していました。
しかし、初日からの大雨で簡単にあきらめてしまう。
自分の信念の弱さは昔からだったんだな!?
さて、自転車はあきらめて電車(輪行)で小諸へ向かう途中、
塩尻か松本で見た電車です。 すっかり良い天気になり、
山の天気は変わりやすいなどと思っていると・・・
あっ、あいのこだ! と一応撮っておきました。
あいのことは、流線型のクモハ52になりそこなった電車で
製造途中で設計変更され半流の運転台になってしまいました。
横から見るとクモハ52風、前は普通の電車、であいのこです。
ヘッドライトの基部にも砲弾型だった名残が見えますね。
と、この辺はかなりマニアックな観察ですが、
この後は素直に小諸へ行き、駅前で自転車を組み立てて
山荘へ登りました。
2日ほど山荘に泊まり、帰りは?
碓井峠の旧道を下りましたが、
とにかくお尻が痛かった印象しか残っていません。
春日部あたりで真っ暗になっちゃうし、さいあくーっ!
本日もご乗車ありがとうございました。