碓井峠を初めて撮ったのは軽井沢駅で
発車を待つ上野行の夜行急行能登だった。
上田交通を撮りに行く途中、
夜中の3時ころだったと思う。
昭和60年(1985年)6月のこと。
上田交通の撮影はお昼までで切り上げ、
その帰り道ふたたび軽井沢へ。
軽井沢から横川へ下る途中に、
単線時代、熊の平という駅があった。
列車交換用の駅だったが、複線化後も線路の保守と
変電所の設備が残っていて、立入ることができた。
さらに下った丸山は旧線時代にラックレールの始まる地点で
変電所や機関区があった。
朽ちかけたレンガの建物が残っていて面影を残す。
中に入ってみると崩れた屋根ごしに青空が見えた。
碓氷峠は千分の67(67パーミリ)という急勾配が続くため
坂の下側に専用の補助機関車を連結してのりきっていた。
峠を通過するすべての列車にEF63型を2両連結するが、
写真のように客車列車の場合は本来の機関車と合せて
3両になり特に迫力があった。
さてここからは少し時代が下って
機関車の前後のカドに旗竿のようなポールがつく。
列車無線用アンテナで、保安上必要な設備だろうが、
見栄えは悪くなった。
このときはまだ熊の平へ入れたが新幹線の工事も進み、
終焉が近づくと安全上の配慮で入口にゲートが設けられ
近寄れなくなってしまった。
旧線跡の遺構はあちこちに残っているが
このめがね橋はシンボル的な存在だった。
終焉間近、EF63の何両かは登場時の
茶色に塗られ、ファンの目を楽しませた。
事務所前には旧線時代の機関車が展示されていた。
ラックレールが線路の中央に見える。
急坂で滑らないように機関車の歯車を噛み合わせて走る仕組みだ。
この横川機関区の跡地は、鉄道文化村として再活用されている。
小ぢんまりとした駅舎の前の道路に注目!
溝のグレーチング代わりに旧線で使った
ラックレールが再利用されていた。
この駅舎の対面には峠の釜飯のおぎのや本店がある。
新幹線駅や高速道路のSAでの売上げからは
信じられないほど小さな店で、
知らないと素通りしてしまいそうだ。
1997.9.30
碓氷峠を越える鉄道はその使命を終えた。
翌日からは長野新幹線改め、北陸新幹線が
長大トンネルと強力モーターの力で一気に駈け抜ける。
初めて新幹線で長野に着いたとき、上野から1時間半では
確かに長野駅に着いているのだが、
感覚的にはまだ碓井を越えていない気分だった。
本日はご乗車ありがとうございました。
次回はこのときに行った上田交通をご案内します。
.