こんばんは。
きたぐに・日本海の旅も最終回。
いよいよ大阪から青森行きの日本海に乗ります。
その前に前回までのおさらいをさらっと。
平成21年2月21日東京を出発。
長野新幹線で長野へ、飯山線、只見線、磐越西線と
ローカル線を乗り継ぎ、新潟へ。
夜行急行きたぐにで大阪まで来ました。
早朝に着いたので乗車する日本海を迎えに。
あ、この写真は別の機会に撮ったものです。
最初の写真もずいぶん前、
20系寝台車終焉のころ、先代の日本海です。
さて当日のお迎え撮影が終わった後、
京都への移転が決まり、廃止が発表された
交通科学館に行ってみました。
新大阪までJRで戻り、
地下鉄を乗り継いで弁天町まで来ました。
え? そのままJRで来ればよかったですって?
それはそうなんですが、普段乗れない路線に
わざわざ乗ってみたくなるのが乗り鉄なんです。
きたぐに・日本海の旅なんてまさにそれ。
考えたらアホらしくなるので考えてはいけません!?
郷愁をさそう、うまい展示方法でした。
交通科学館なので初代ドリーム号もありました。
京都は鉄道博物館ですから、
このバスはどうなってしまったのでしょう?
HOゲージのパノラマレイアウトです。
実はこういうのをやってみたくて
自宅を建替えたときに一部屋確保しましたが
(もちろん何十分の一の広さですが)
ほこりが積もったりレール磨きの手間や整備で
遊ぶよりも維持のほうがよっぽど大変だと気づき
また、自分が死んだ後(?)邪魔者扱いされるに
決まってるので手をつけないうちにやめました。
おかげで今ではドール部屋になっています。
《日本海に乗る》
今度は環状線で大阪駅へ向かいました。
日本海が出発する9番線にまわってみると
雷鳥が発車するところでした。
この特急(485系)も国鉄時代を彷彿させます。
機会をあらためて乗りに来ましょう。
(1年後に実現しました)
雷鳥が出発し、線路が空くと日本海が入線しました。
このときは大阪駅の改良工事中で
機関車のうしろに駅ビルの鉄骨が見えます。
寝台は12号車の3番下段です。
A寝台を奮発しました。
荷物を置いて探検しましょう。
車内に入ると両側に寝台がずらり並びます。
きたぐにと同じようですが2段です。
ちょっと失礼して上段を覗いてみましょう。
幅88cm、高さ92cmで、きたぐにより全然広い。
料金はきたぐにの5250円に対して9540円。
下段です。 幅93cm、高さ113cm。
値段は6300円に対して10500円です。
寝心地についてはのちほど。
車内の端に1区画だけ座席状態の席が
用意されていました。
お弁当をひろげたり喫煙場所として
自由に使えるスペースです。
こちらはB寝台の様子です。
同じ日本海ですが、別のときに撮影したもの。
寝台幅70cm、高さ111cm。 6300円。
発車する頃には夕闇がせまります。
車窓に雨粒も当たるようになりました。
ご覧のとおり、ベッドに座っても頭上は余裕です。
17時47分、大阪定刻発車。
流れる灯りや駅名票を眺めながら
買い込んできた弁当をパクつきました。
今回の旅はひたすら乗りまくるのが目的だったので
こんな場面が多くなりました。 余裕があれば
乗り鉄+食いしん坊の旅になりがちなんですがね。
不覚にも(本当は朝まで起きていようと思った)
うとうととしてしまい、気がつくと青海川を通過中。
0時20分ころ上りのきたぐにとすれ違いました。
昨晩はあっち、今夜はこっちで
同じ線路を南へ北へ。
考えてみればやはり変な旅です。
《雪見列車 その3》
今日(2月23日)は五能線に乗ります。
早朝、日本海を捨て
冷たいホームに降り立ちました。
五能線は東能代から海岸沿いに進み
川部で再び奥羽本線に合流します。
一方、奥羽本線は内陸部を通り峠を越えて
青森を目指します。
海沿いの五能線のほうが断然風光明媚ですが
これがまた乗りにくい超ローカル線なんです。
東能代から川部(弘前)まで通しで走る列車は
一日に1本だけ。(リゾート列車は除く)
ここでも「乗れるもんなら乗ってみろ」
の声が聞こえてきます。
東能代では少々時間があり、
485系の「いなほ」や
上野→青森のあけぼのを見かけました。
五能線はこちらキハ40・3連です。
ローカル線にしては多すぎかな、と思ったら
発車する頃には高校生でほぼ席は埋りました。
せっかくの五能線の風光明媚を見られないのでは
と、心配はご無用。
次の能代で8・9割ほどが下車、
その次の向能代で残り全員が下車しました。
先頭車両の海側のボックスに席を移します。
しばらくは田んぼかどうかよく判らないが
雪で埋もれた平らなところを走ります。
やがて右前方に白神山地が見えてきます。
八森あたりで海が近くなりました。
海蝕崖の上から見下ろします。(絶景かな!)
岩館で対向列車と交換し線路は海岸に出ました。
本当に列車の窓から撮ったのですが、
ウソみたいに波打ち際近く、強風の日は
波しぶきをかぶってしまうのではないでしょうか。
深浦9時40分着。
5分停車ですがちょっと降りて1枚。
次の深浦発は17時09分なので、
絶対に途中下車はできません。
深浦を過ぎると地形と風向きの関係か
さらに風が強くなり飛ばされた波しぶきが
泡となって窓ガラスに付着します。
そういえば雪も積もっていませんね。
飛ばされてしまうのでしょうか。
駅名も自然の猛威を感じさせます。
風が合わさる急流で風合瀬。
岩に当たる波の音がとどろくのか、
または字が表すとおり、強風下、
大木の風下に馬が三頭、身を寄せるさまか
いずれにしても風の強い地域であることを
あらわす駅名ですね。
10時44分鯵ヶ沢着。
能代以来ひさしぶりの町です。
鯵ヶ沢では行き違いのため8分停車します。
駅を出て間もなく七里長浜の長~い砂浜を見て
2時間あまり車窓を楽しませてくれた海とお別れ。
東に向きを変えて津軽半島を横切りにかかります。
半島横断の中間あたりに五所川原があります。
津軽三味線や立佞武多が有名ですが、もうひとつ
ストーブ列車の津軽鉄道の分岐駅でもあります。
津軽鉄道の車両は新型に変わりましたが
ストーブ列車は観光用に残されています。
こちらは以前乗りに行ったときの写真です。
またいつか項を改めてご紹介しましょう。
11時57分、奥羽本線との合流点、川部に到着。
列車は弘前まで行きますが、戻ってしまうので
ここで下車します。
東能代を7時55分に出てから4時間。
まったく飽きさせることなく、あっという間でした。
右が乗ってきた五能線の列車。
左が青森行きの普通電車です。
青森到着の5分ほど手前に
新幹線の新青森を建設中でした。
奥羽本線はひと足先に営業開始、
乗った電車も新青森に停車しました。
リニューアルで新型電車のように
生まれ変わった485系白鳥で八戸へ。
八戸(当時、東北新幹線の終点)から
はやてで上野まで、一気に走ります。
青森から上野まで4時間10分は
五能線でぐるっと周ったのと同じくらい。
函館まで延びた今なら4時間強で
新函館まで行ってしまいますね。
恐れ入りました。
かくして東日本三大ローカル線乗車と
きたぐに日本海の旅は終わりました。
交通科学館以外どこにも寄らずに
宿にも泊まらずひたすら乗り続けた旅です。
今、改めて書き直してみると
あほらしくなりますが、
きたぐにも日本海もなくなりましたし、
集中豪雨で鉄橋の流出した只見線は
復旧どころか廃線の道を模索中です。
やっぱり乗っておいてよかったな。
それではまた。
ごきげんよう。