きたぐに・日本海の旅 2 | きゅうの休憩室

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ドールを始めたのは2015年。
コロナの自粛生活がきっかけでアニメに転向。
工作はチマチマと続けていますが。。。


こんばんはー。

きたぐに日本海の旅 2回目です。

今回はいよいよきたぐにに乗車します。


前回のおさらいを少し。

東京から長野新幹線で長野へ、

飯山線で越後川口、上越線に乗換え小出

只見線で会津若松までやってきました。


午後5時半、夕食どきです。

駅前食堂かラーメン屋を期待して改札を出て

みましたが、郷土料理の店しかありません。

次に乗る列車は磐越西線の新潟方面ですが

1834発、本日の最終になります。
あまり時間もないのでコンビニ弁当を買い

ホームに上がりました。


一番遠くのホームに窓の大きな列車が見えました。

気になって跨線橋を渡って行ってみると

懐かしい元名鉄のロマンスカーです。

名古屋から犬山・鵜沼、JR高山線に直通して

高山まで行っていた特急車両です。

JR乗入れが廃止になり会津鉄道に転身しました。

残念ながら乗るわけにはいかないので

磐越西線のホームに戻ります。


ご覧のように行止りホームです。(頭端式)

磐越西線は郡山から新津までで会津若松は

その途中ですから、すべての列車がここで

向きを変えなければなりません。

明治の時代、鉄道を敷いたときに邪魔者扱い

されて、駅を町はずれに追いやられた結果。

または勾配の都合。

あるいはその両方が原因かもしれません。


もっとも郡山から新津へ直通する列車はないし

運転系統は、ほぼ会津若松を堺に分かれて

いるので、それほど不便を感じないのでしょう。


新津まで乗る列車が待機しています。

飯山線と同じキハ110系3両編成。

雪が降ってきました。

雪見列車その3、としたいところですが

すっかり日が暮れてしまいました。

日中なら川沿いの景色が良い路線なんですが…



新津から新潟へは信越線の普通電車で。

旧国鉄型の115系です。

新潟色というか新潟地域限定の塗色ですが

乗ってしまえばお馴染みの近郊型電車です。


新潟に着くと国鉄色のキハ52が

目に飛び込んできました。




昨秋まで米坂線で活躍していましたが

新型車に置き換わったので、

てっきり引退したものと思っていました。

サボ(サイドボード=車体横の行先表示板)
を見ると新潟・新津間のシャトル運用ですね。

うーん、乗りたい。

が、乗ってしまうときたぐにに乗れない。

見られただけラッキー、と思うことにしました。

《きたぐに》

キハ52が出て行くと、

替わりにきたぐにが入線しました。






とりあえず荷物を置いて列車を観察しようと

乗込もうとすると、デッキに車掌が待っていて

席を替わって欲しいといいます。

団体が入ったとのことで、こちらとしても

騒がしい(かどうかは判りませんが)中に

一人まぎれ込むのもうっとうしいので

喜んで替えてもらいました。


あらためて車内を観察します。

まず寝台です。


プルマンタイプで中央通路の両側に

レール方向にベッドが並びます。

寝台の様子を見てみましょう。


上段です。 幅70cm 高さ68cm


中段です。 幅70cm 高さ68cm

下段です。 幅106cm 高さ76cm

寝台料金(運賃や急行券・特急券別:当時)は

上段・中段が5250円、下段が6300円でした。
1050円の違いならだんぜん下段がいいでしょ?

一応窓もありますしね。

上・中段は楕円形ののぞき穴みたいな小窓です。

しかし少々時代遅れの3段式寝台では

ベッドの上で真っすぐに座れませんでした。

下段でも少し斜めでないと頭がつかえます。

ちなみに、一般的な2段式客車B寝台は幅70cm

高さは上段95cm・下段111cmとなっています。



こちらはグリーン車。

寝台車と同じ車体断面なので天井が高い。

大阪・新潟間の料金は寝台と変わらないので

それなら横になれる寝台の方がいいですね。



こちらは自由席。

元々は寝台車なので頭上には

折りたたんだベッドが収納されています。

勝手にベッドを組み立てられないように

座席はボルトで固定されています。


さて自分の寝台に戻ります。

2255新潟定刻発。

新津までは先ほど走ってきた線路を行きます。

多少マシな下段ではありますが

真っすぐ座れば頭がつかえるし、

斜めに座れば腰が痛い。

深夜出発、早朝6時49分到着という時刻を

考えれば、寝るだけなので問題なしと

割り切れる走行時間帯ではあります。

仕方がないので横になると

いつの間にか眠ってしまいました。


次に気がつくと米原を発車したところでした。

カーテンを開け

徐々に明るさを増す車窓を楽しむ。

中段のベッドの裏と窓のあいだに隙間があり
そこに頭を突っ込むといくらかラクだった。

こんな感じです。
定刻649、大阪に到着しました。


ここできたぐにの車体の塗色を紹介します。


乗車時がこれ。 2代目きたぐに色です。

初代きたぐに色です。

583系オリジナルの色です。

きたぐには3種類の塗色で活躍しました。

最初は国鉄時代からの583系の標準的な色。

車齢を重ね、車体の更新を行った車輌から

水色のきたぐに色に変更しました。

その後、再度変更されたのが引退まで使われた

ねずみ色基調の地味なカラーリングです。

個人的にはオリジナルの紺・クリームが好きです。


さて次に乗る予定は青森行きの日本海です。

日中まる1日時間がありますので

まずは今夜乗る日本海を撮りに、

島本付近に行ってみました。


はるかが来ました。

雷鳥も通過します。

じつは先ほどの水色のきたぐにもここで撮影。

ひときわ大きな走行音に振り返ると、

500系のぞみが270kmで通過するところでした。




やがて上りの日本海が通過しました。

この車両が大阪から宮原へ回送され、

清掃・整備されて今夕の下り日本海になります。


無事、日本海の到着を見届けたので

再び大阪へ戻りましょう。

このあとはもうすぐ閉館される

交通科学館に行ってみるつもり。

(今年4月、京都に移転、梅小路で再開しました)

島本駅から東海道線に乗ります。

島本は新しい駅で、この場所に初めて来たときは

まだ無くて、阪急の水無瀬から歩いたっけ。



加古川行き普通列車が到着しました。

転換クロスシートの豪華な座席です。

発車後間もなく、車掌の案内放送があり

鉄道少年団の車内美化活動がきました。

ボーイスカウトの鉄道版みたいなもの

のように見えました。

あいにく渡すようなゴミを持っていなかったので

協力できませんでした。(?)


この後は、新大阪で地下鉄に乗換え、

当時 弁天町にあった交通科学館に向かいます。



長くなりましたので一旦失礼します。

続きはまた後で。