裏日光の旅2・足尾銅山 | きゅうの休憩室

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ドールを始めたのは2015年。
コロナの自粛生活がきっかけでアニメに転向。
工作はチマチマと続けていますが。。。


こんにちは。

裏日光の旅・その2です。

富弘美術館がある草木湖から渡良瀬川を遡り

足尾に向かいます。


足尾と言えば銅山のまちという印象ですが

銅山はとうの昔に廃坑になっています。

足尾鉱毒で魚一匹棲めない渡良瀬川や

精錬所の煙突から吐き出される亜硫酸ガスで

すべての草木が枯れ果て、連なる禿山。

こうした負の遺産を逆手にとって

自然の再生をテーマにしたり、廃坑そのものを

観光資源にしてしまった足尾のたくましさ。

どうにか生きながらえています。

長いものに巻かれなかった田中正造の精神が

形を変えて生きているのかもしれませんね。

理屈はともかく、観光に行くだけでも

ほんの少し活性化の役に立てるかと思います。


足尾のまちの中心は通洞になります。

足尾駅はまちの北のはずれ。

銅山観光も通洞で、旧町役場、

今の日光市支所のすぐそばにあります。


《足尾銅山観光》




銅山観光に来たのは2回目です。

今回、ゲートを撮るの忘れました!

仕方がないので前回の写真を使いましたが

天候が合っていません!(ごめんなさい)


ゲートをくぐってすぐ、トロッコの駅があります。

入場券はここで買いますが

今日もトロッコは動いていませんでした。

本来は歯車式(ラックレール)の急勾配を走る

ようですが、車両はブルーシートで隠されています。

きっと壊れちゃってて動かないのでしょうね。

下の坑道入口まで歩いて、わずか150mだけ

トロッコに乗りました。




「とんねる、さむいでーす」

「だれかあなほってまーす」



「おしりががたがたします」

「テンションゴムがのびそうでーす」


あちこちに人夫の人形がありますが、

どこかで会ったことがありそうな人ばかり。

これは横山君そっくりでした!?



前回はこの赤い電車にも人夫が乗ってました。

経費節減のため人員整理されちゃったようです。

下のインゴットはこの大きさで20kg!

鉄の塊のようで持ち上がりません!

あ、銅か。



坑内でトロッコを降りると、

見学コースを見ながら出口まで歩きます。

暗闇の中を豆電球に照らされて歩くコースは

雰囲気満点です。 しずくが頭にポチャっと…

ひゃー!


「でんしゃうごきませーん」

これは展示用だからねー。



またまたトロッコが坑道に入っていきます。

定時運行ではなく、お客が2両分たまると

出発しているようでした。




向こう側の寛永通宝のついている資料館では

銭が鋳造されるまでを人形で展示してあります。

テーマパークとしては地味ですが

元鉄ちゃん的には、トロッコが動いてるので

飽きずに楽しめました。

それでは銅山から脱出して先へ進みましょう。




銅山観光を一歩離れて観察してみると・・・

坑口周辺は観光施設らしく整備されていますが、

ほんの少し離れると閉山した鉱山らしく

廃工場跡などの施設が朽ち果てかけています。

そんなところを見るのも興味深いですが、

立入り禁止のため国道から見るのでちょっと危ない。

この状態では中に入るほうがもっと危ないでしょうね。


《足尾駅》


足尾駅は町の北のはずれにあります。





足尾駅は機関車の付替や貨車の入替が

できるくらいの広さと線路がありました。

精錬工場は次の終点、間藤の先にあったので

適当な立地だったのでしょうね。


国鉄時代と変わらない雰囲気のある駅舎が健在で

去年の海街ダイアリーの冒頭にも登場します。

気がつかなかったのですが、駅にポスターがあり

帰ってから録画を観てみたら640mの看板の前の

ベンチで三姉妹とすずちゃんが話す場面や

駅舎もはっきり映っていました。

「河鹿沢温泉」の駅名が貼り重ねてありましたけど・・・

最近、ロケ地に遭遇することが多い気がしますが

この日もほんとに偶然でした。

(ポスターがなかったら判らなかったと思う)



映画と同じように列車が進入してきました。

ひかりちゃんは、すずちゃんの気分で見送ります。



側線には国鉄時代のディーゼルカーが

保存されています。

八重桜が散って花吹雪になっています。

かたまりで散っているのを拾って

ひかりちゃんに持たせてみました。

足尾線はもうひと駅、間藤まであります。

その先は精錬所跡があって線路はそこまで。

もう一歩先の銅親水公園がどんづまりです。


《銅親水公園》





銅親水公園(あかがねしんすいこうえん)は

砂防ダムのかたわらにあります。

資料館には、

足尾の歴史(日本最初の公害)や砂防のこと

自然回復のための取組み、田中正造さんのこと

植林体験のこと、などが展示されています。


着いてみると、

あれー? シャッターが閉まっています!

あ・あー、4時半までで終了でした。

ちょうど職員の車が帰っていきました。

うーむ残念。

本当に奥の奥地なので、

もう二度と来るチャンスはないでしょう。


仕方がないので少ない知識で案内すると

精錬所から排出される亜硫酸ガスのせいで

周囲の山の木々は枯れ、地肌がむき出しになり

少しの雨でも山崩れが起きます。

谷に流れ込んだ土砂が土石流となって下流に

流れ下らないように砂防ダムが作られました。(写真)

ダムはすでにフチまで砂利や岩で満杯です。


土砂の流出を防ぐため植林を試みましたが、

種を撒いても雨が降ると表砂と共に流れてしまい

根付きません。 そこで麻袋に土とタネを入れて

禿山の上に並べてみると少しずつ留まるようになった。

現在はやっと産毛がはえたくらいに低木が根付き始めた

というような解説が資料館にありました。


見た目は清流ですが生き物が一切棲めなかった

渡良瀬川がどうなったかは忘れました。



精錬所跡です。

精錬所は山の斜面に作られます。

鉱石が斜面を転がり落ちながら精錬されていく

重力を利用した工程になっているそうです。


ご覧のように平らな地面には木も育ち、

斜面にも低木が生えています。

しかし、後ろを振り返るとまだまだ禿山が

無残に山肌をさらしている風景が多く残っています。


今日の旅はここまで。

おしまいのほうは社会科見学のようでしたが、

宿へ向かうことにしましょう。


まくら投げをした懐かしの林間学園です。


ブログのほうも、続きはまた明日。