今年の大河ドラマは真田丸です。
信州上田が注目を集めていますね。
鉄道ネタが2本続きますが、
今回はブームにあやかって
上田交通をご案内します。
ごめんなさい・・ 正直に言います・・・
ドールネタがないんです。
来週末、作戦がありますので
それまでのツナギで・・
上田交通といえば丸窓電車です。
タイトルバックのこの車輌が元祖です。
もうとっくに引退してしまいましたが、
現在使用中の電車にも丸窓を再現して
この塗装に塗りなおしたものが存在します。
ところで、この電車の色ですが何色に見えますか?
モニターの調整でも変わると思いますが
白黒に見えているのではないでしょうか。
実際には非常に明るいクリーム色と
これ以上暗い色はないというくらい濃い紺色です。
撮影は昭和60年(1985年)6月16日。
では例によって、ご一緒にタイムスリップしましょう。
今回は買ったばかりのフルサイズのVHSカメラを
持っていくので、マイカー利用です。
まず最初はこの1枚から。
以前、碓井峠の回に載せた写真です。
朝、上田に着くためには深夜に出発して
未明に軽井沢、という行程になります。
まだ高速道路もない時代、
行きがけに1枚撮って上田に向かいました。
国鉄上田駅は特急も停車する、地方の中核駅でした。
駅舎は小ぢんまりとして駅広にバス乗り場、ロータリーと
ひととおり結構はそろっていました。
今は新幹線停車駅として再開発されたので
面影もありません。
のぼり旗に六文銭と真田の文字が見えます。
30年前から他に「売り」はなかったのでしょうか。
ようやく今年、脚光を浴びられそうです。
連ドラの威力は大変なものがあるでしょうから。
上田交通のホームは国鉄駅の西側に隣接します。
上の2枚目の写真のとおり、国鉄の跨線橋から一段細い
跨線橋がのびて上田交通のホームを結んでいます。
正式な駅の入口はぐるっとまわった向こう側ですが
駅裏駐車場は西側にあります。
線路またいで近道する人を見かけました。
実際、ホーム上の窓口でもキップを買えましたので
運輸省の届出の手前、おおっぴらにはできませんが
線路横断は黙認といったところでしょう。
ホームと駐車場のあいだには留置線があり
古い電車がごろごろしています。
リベットだらけの無骨な車体に深い屋根の
見るからに川重タイプ(川崎車輌)の電車は
長野電鉄からきたモハ5271とクハ271。
東急5000系中間車改造のクハも見えます。
上3枚の真ん中クハ273は元東急のキハ1
渋谷・横浜間の急行気動車のなれの果てで、
窓割や台車、通風器に面影を残します。
当時の地方私鉄は、1両ずつ独自の来歴を
持つ車輌の寄せ集めだったりするので
それをたどるのも楽しみでした。
今回はビデオ持参ですから、
走行シーンの撮影に場所を移動しましょう。
走行シーンは下之郷から上田原の間で
撮影しました。
まず1枚目は丸窓のモハ5250形、
2・3枚目は川重タイプなのでモハ5271
4枚目はモハ5250の返し。
5枚目のいかにも小田急顔をした電車は
モハ5371形で、
小田急クハ1650を電装したものです。
この時のビデオを見ると、
正面に近い角度では、腰を振り、弾みながら
走ってくる姿はフラダンスのようです。
揺れ枕という台車の装置のせいですが
揺れを吸収する以上に線路が歪んでいるので
よけいゆらゆらゆれてしまうのです。
踏切の鐘は電子音でなく本当に鐘をたたく
チンコチンコという音が聞こえます。
何本か撮ったあと上田原駅に移動します。
上田原には車庫と工場が併設されていました。
これぞまさに地方私鉄のおもしろさ極まれり、
というような場所でした。
まず上の写真、手前が上り線、奥が下り線です。
車庫の引込み線のように見えますが本線です。
とくに下り線のホームときたら!
崩れそうな車庫の壁に張り出した桟橋のようなもの
これが実際に使われていた現役のホームでした。
もっとも交換列車がいないときは下りも手前の
駅舎側ホームに停まっていましたが。
上の写真で石のホームの左側は、元は路面軌道の
乗り場でした。この当時は自転車置き場。
自転車があふれ、前にトラックが駐車していたので
駅舎は後で撮ろうとおもってて忘れちゃいました。
おしいことした。
なんともレトロな時刻表は先に撮っておいたもの。
手書きで、しかも縦書きの漢数字です。
続いて車庫の事務所で、立ち入りの許可をもらいます。
丸窓の電車やもう1両の小田急顔電車もいます。
異彩を放つのは緑色の東急デハ3310形です。
東急カラーそのままで使用していました。
急勾配が登れず八木沢までの限定運用でした。
3枚目に怪しげな木造電車の廃車体があります。
乗務員ドアがないので官鉄(国鉄)形ではない。
窓割と顔つきから、旧吉野鉄道のデハ1形のよう。
吉野(近鉄)からでは距離が離れすぎているので
同形の他社のものかもしれません。
資料がみつかりませんでしたが
こういう推理も楽しみのひとつです。
車庫の裏手にまわってみましょう。
まず目に付くのが日鉄自動車タイプの凸電。
すみません、書いているうちに
だんだん表現がマニアックになってしまって。
日鉄自動車とは日本鉄道自動車という車輌メーカー
凸電とは凸形の電気機関車のことです。
ブリルMCBという台車を履いていて、つぼみ堂
というメーカーの鉄道模型で有名でした。
鉄道模型をやっていた人にはあこがれの1台、
マスコット的な1台でした。
うちにもつぼみ堂の閉店後に受け継いだ
カツミ模型店製品が1台あります。
このED251をみて喜び、
側線の奥に川重タイプの電車を見つけました。
色も長電(長野電鉄)のまま。
手入れをして使うつもりだったか、あるいは
5271のための部品取り用だったかもしれません。
さらに奥には木造のワフ(有蓋車)とトラ(無蓋車)
がいましたが、電車が邪魔で本線には出られません。
他にも車輪をはずされた廃車体がいくつかあり
倉庫代わりに使われているようでした。
4枚目は文献によると元は神中鉄道(相鉄)の
気動車だそうです。
車輌だけでなく、朽ち果てかけている車庫には
窓の代わりに電車のドアを窓ガラスごと使って
いたりとウソみたいな発見もあり、転がっている
ジャンクとともにある意味宝の山でした。
こうして楽しく半日を過ごした後、
お昼で切り上げて軽井沢へ向かいました。
そのときの写真は碓氷峠の回に載せたとおりです。
上田交通には、この後もう一度秋に撮影に
行っているので、丸窓電車2で紹介します。
それでは今回はこれにて。
本日もご乗車ありがとうございました。
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