北斗星よ さようなら! | きゅうの休憩室

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ドールを始めたのは2015年。
コロナの自粛生活がきっかけでアニメに転向。
工作はチマチマと続けていますが。。。


1988年3月 青函トンネルの開業と同時に運行を開始した北斗星は

今月(2015年8月)22日、いよいよ完全引退のときを迎えます。

27年あまりに渡り、お付き合いしてきた北斗星の姿を記事にまとめ

その足跡のほんの一部ではありますが、記録として、またレクイエム

として残したいと思います。


《1988年》

トンネル開業の夏、北海道では多数の誘客キャンペーンが行われた。

開業に伴い廃止となった連絡船の期間限定復活運航や、JR発足に

あわせて動態復活したC623の運転もあり、北斗星の撮影を絡めて

渡道した。道内牽引のDD51重連はまだ赤い塗装のままです。




6日間レンタカーを借り、撮影を堪能しました。  

秋に再度渡道する機会があり北斗星を撮影しました。

塗替えが始まったところで、赤・青が混じっていました。





《1989年》
前年に引き続きC623の運転があり、生きた蒸気機関車の魅力を

思い出してしまった私は、北斗星乗車も含めて渡道計画立てた。




DD51の青塗装化は完了し、機関車+客車の編成美が出現した。

北斗星のための記事で少々気が引けますが、この年の主題なので

C623も5枚だけ載せます。





見た目だけでなく、音、匂いも含めて蒸機の魅力は格別です!

さて北斗星に戻りまして、この旅行の仕上げは北斗星乗車です。






この時利用したのは企画ものの往復割引きっぷで、新幹線も含め

特急、急行の指定席やB寝台も追加料金不要で利用できました。
当時はまだ個室寝台に乗ったことがなかったので、普通に満足で

きたのです。 もちろん食堂車も朝食のみの利用です。





1998年に大きなハプニングがありました。 東北地方を襲った

集中豪雨のため、東北本線が不通となり、北斗星は常磐線経由

で運転されました。以下は北小金駅で撮影した北斗星です。





北斗星の乗車もかない、一応満足したので以降の渡道は航空機

利用に戻りました。 しかし、ここで転機が訪れます。

それは2003年、富士のA個室シングルデラックス乗車でした。

ベッドに腰掛け、足を伸ばせば向こうの壁に届きます。その狭さは

口の悪い利用者から独房とたとえられます。が、それでも個室寝台

の魅力はあまりありました。誰にも気兼ねせずに弁当を食べられる、

灯りを消せば夜の車窓もバッチリ楽しめます。好きなときにいくらで

も寝られるし・・・個室寝台の魅力を知ってしまった私は、完全なる

乗り鉄に転身しました。(鉄道マニア全般を鉄ちゃんといい、鉄道で

旅行するのを好む人を乗り鉄といいます)


《北斗星と家族》
個室の魅力を知ってしまった私は、次はぜひ最高峰のロイヤルに

乗りたいと思うようになりましたが、キップが取れない!

そこで目をつけたのが臨時の北斗星でした。

臨時ならそれほど集中しないかな~と思い、朝4時から窓口に並び

キップを取ることに成功しました。(2004年正月)





ロイヤル初乗車。(寝台車初体験の同伴者2004年)

これに味をしめて、3シーズンほど北斗星スキーを楽しんだ。




2007年になり、同伴者も少し大きくなりました。

残念ながら (!?) 鉄子にはならなかった。




このときはニセコのホテルを抜け出して長万部駅の近くに1泊した。

スキーウエアで鉄ちゃんは寒くないし一石二鳥です。 (笑)

また、3泊4日のスキーツアーのうち1日は撮影に当てるなど病い

は重症化していきます。 パックツアーの航空機片道を捨てて、

北斗星で帰ったこともありました! (モッタイナイ)

スキー仲間の目も、「変なヤツ」から今年はどこ行くの?に変化。


《撮りまくり旅》
2006、2007年はレンタカー利用で道内撮りまくり旅。

往復はもちろん乗り鉄です。 

説明はいらないと思いますので、一気に画像をお楽しみください。




以上2006年・以下2007年
















《見えてきた終焉》
2008年・09年・・と九州方面の寝台特急は廃止が進みます。

我が北斗星も車体の傷みが気になり始めました。 

「ロイヤルが取れたら旅に出よ~」などと悠長なことを言ってる

場合でもなくなってきたので、おりにふれ乗るようになりました。


2008年 北広島



2009年夏 長万部


2009年秋 乗換の途中、思いがけず宇都宮で見かける。
        偶然町で旧友に出会った気分でした。        

《あけぼの、おまえもか!》
2011年~12年はあけぼのの廃止もせまり忙しかった。

あけぼので青森へ行き、海峡を渡り函館から北斗星で帰る

2泊3日車中泊のみなどというばかげた旅もしました。




                      こんな灰皿久しぶりに見た・・・




2011.1 踏切事故で6時間遅れ。     

       次の予定もあり、仙台で捨て新幹線で帰京。



2011.2 上野幌 この3週間後に激震が東日本を襲う


※東日本大震災後、最初の旅は恐山へ行った。 

 新幹線から見た仙台市内の瓦礫の残る空き地や、建物が消えた

 松島付近の海岸に心を痛めると同時に車窓から見ている自分の

 幸福を大事にしなければ、と噛みしめた。

 いまさらながら、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。 

 この旅の詳細はいずれ別記事で・・・


訪れたのは震災後、百か日の直後だった。

浄土ヶ浜の白砂の岸には千本もの風ぐるまと花束が立つ。

チュルチュルチュル・・キュルキュルキュル・・・

音のない世界に、羽の回る音だけが響く・・・ 

残された者の思いに、涙が止まらなかった。

《2012年夏》
この記事もおしまいが近づきます。

北斗星は・・・ただ乗っているだけで満足。






夏場は本当に取れにくくなってきました。とくにロイヤルは・・


《2013年冬》

夏がダメなら閑散期の冬ならばと、2013.1に渡道しました。

案の定、往復ともロイヤルをゲット。 暖かい車窓から厳冬の

大地を眺めるのも、また佳き哉。


これが最後かな、という思いもあり、少しまじめに撮りました。

一気にご覧ください。

















通いなれた道ですが、札幌駅のホームに立つと

あらためて身が引き締まる思いがします。 あ・寒いだけか・・・


せっかく「真冬の北海道」に来たので、極寒を体験しに行こう。

と、向かったのは帯広。 帯広といえば「ばんえい十勝」です。
競馬場に着き、名物のぶた丼を注文すると、お店の人が
「今日は春みたいだ」と言います。外の寒暖計を見ると0℃。

うーん、ついてない。 それでも日が落ちると-10度で極寒

ならぬ「ちょびっと寒」を体験しました。




札幌のホテルは駅間近で、「トレインビュー」をオーダーした。

窓から北斗星を見送る。








今回、夜景に強いカメラを手に入れたのでいろいろ撮ってみた。

カーブで列車前方の窓灯り、 ISO感度12800(!)

フィルムカメラでは考えられません。 デジカメってすごいです。

このときは乗車率は半分くらいだったか・・・デュエットの空室を

ちょっと失礼して撮影。 廃止まであと2年ちょっと・・・


《とうとう最終回》
ついに最後の乗車になってしまいました。

このときはまだまだ乗るつもりだったけど、

「また今度」 はありませんでした。
2014年1月26日 札幌→上野です。



車掌氏にお願いして1枚撮ってもらいました。

車両だけでなく、筆者の経年変化も著しいものがある?

(1989年の項参照)





定刻、上野到着。

これが私にとって本当に最後の北斗星乗車となりました。


《エピローグ》

じつはもう1回、北斗星を「見る」機会がありました。

できれば乗りたかったけど、キップが取れずカシオペアで
渡道した。 今年(2015年)1月のこと。

この時点でカシオペアでさえめちゃ混みで、朝、営業30分前

に食堂車へ行ってみると、隣の車輌まで行列が伸びていた。

「のんびり優雅に」旅をしたくて寝台特急を利用していたので

これでは台無しです。 乗り鉄卒業を決心した瞬間でした。


さて、最後の北斗星はこんな感じです。

暗闇の中にテールランプが消えていく姿と

雪原の白い光の中にホワイトアウトしていく姿・・・

どちらがふさわしいでしょうか?




暗闇の中へ・・・




光のかなたへ・・・



さようなら・・・ 北斗星





  長らくのご乗車お疲れさまでした。

  北斗星はこれで終着ですが、40年に及ぶの旅の記録

  やネタは山のようにあります。

  これから少しずつまとめていくつもりです。

  記事の最後までお付き合い、ありがとうございました。

  またのご乗車を、心よりお待ちしております。




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