遺言 | 野村孝博のブログ

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 養老孟司著「遺言」を読みました。著者は東京大学名誉教授で「バカの壁」など多数の著書があり、作家といっても良いかもしれません。著者の本はかれこれ読んでおりませんでしたが、たまたま社員が貸してくれたので手に取りました。

 

 本書はカナリア諸島への船旅中、「やることがない」ので書いたのだそうです。それまで書いていた本は話したことを編集者に仕上げてもらったそうなので、実際に「書いた」のは久しぶりだということでした。世の中、どこか変だと思い、そこから「なんでこうなんだろう」と考えた筋書きを描いたのが本書だということです。「それが正しいとか、正しくないとか、そんなことは考えていない。」とありましたが、そのあたりはなんとも著者らしいですね。「ちょっと哲学的だな」なんて思ったら、「哲学なんて、やったこともないし、やろうとも思ったこともない。」と釘を刺されてしまいました。そして、「『先生の哲学は』という人は、哲学とはいかなるものか、それを知っているはずである。私は知らない。教えてもらいたい。」と意地悪なことを書いてきます。術中にはまってちょっと悔しかったです。

 

 「感覚所与」という言葉が登場します。初耳なのですが、「目に光が入る、耳に音が出る。これを哲学では感覚所与という。」ということでした。動物は言葉をしゃべることが出来ないが、感覚所与を使って生きていると、著者は解釈しています。この感覚所与から、「意味がある」、「意味がない」、「意識」、「同じ」という言葉に言及していきます。上手く説明できないのですが、この辺りの言葉から、今の世の中の変なところを解説してくれました。

 

 理解しやすかったのは「強いフェミニズムは、感覚で捉えられる男女の『違い』を無視し、なにがなんでも男女を『同じ』にしようとする。(中略)『同じにする』ことが間違っているのではない。ただし感覚は『違う』という。その二つが対立するのは、そう「見える」だけで、そこに段差があるのだから両者を並べることできない。」という例えです。とはいえ、このレビューを読んだ方には伝わらないと思います。それくらい説明が足りないと分かってはいますが、上手くまとめることが出来ません。正直著者自身もしっかりまとめるつもりもないのかもしれません。

 

 ところどころで、自分の考え方の硬さというか、一方通行な感じというか、そうしたものを気づかせてくれる本でした。全体が理解できなくても、少し柔軟になれたので良しとしたいと思います。