★立花隆を虜にした世界 考えて、考えて……そして逝ってしまった | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

      ゆうべのテレビ「NHKスペシャル」に感動!

  立花隆さんは「火の鳥」を見たか?

 

    ゆうべ(2022430日)のNHKテレビ(1チャンネル)午後

   10時から1時間、少し前に逝った立花隆さんのドキュメンタリー

   タッチの放送がありました。朝刊のテレビ番組で知った私は、夜の

   外食を誘ってくれた娘家族との団欒を断ってテレビにかじりついて

   いました。

 

           番組欄にはこう書かれていました。

  ………………………………………………

  立花隆“最後の旅”

   見えた、何が、永遠が

   知の巨人が残した謎・

   消えた5万冊の蔵書・

   行き着いた死生観

  ………………………………………………

 

 

 立花隆さんの文章との出会いは、思い出せません。

 

 立花さんは大学を出て「文芸春秋」に就職したものの「週刊文春」に配属され、絶対イヤだと言っていた「高校野球取材」を任されて逃げ出した、といいます。その後ルポライターとして活躍し、後に『田中角栄研究~その金脈と人脈』で世間から喝采を受けるのですが、果たして本人はどう思われていたか――。

 

 ちょうど、その頃に朝日新聞記者だった故・筑紫哲也さんを知るのですが、「当代一のジャーナリストだった」と回顧されていました。一方で、さもありなんという言葉を吐露されて…。それは、「そんなもの(角栄追及)に、どれだけ時間を費やしてしまったことか」と無念の表情が画面に映っていました。「(角栄追及は)自分がやらなくても誰かがやる。自分はもっとほか(自身が追究するテーマ)に時間を割くべきだった」との思いに駆られていたのでしょう。

 

 立花さんはジャーナリストであるのですが、学究としても世界を、宇宙を、人間を思索し続ける人だったのです。

 

                 +

 

 

        そこで、テレビを観た私の感想は――

 

 ★ 「核」を振りまわし、暴れまくる「馬鹿の存在」……

 プーチン・ロシアの強権によるウクライナへの侵攻がいま、世界を振りまわしています。一方で、ミサイルを手にした北朝鮮独裁者の横暴が――。日々それらのニュースに接する時、余り者の馬鹿とこの地上に棲息する自身に幻滅を感じます。しかし、同時代を生きる者として傍観者の言葉を放つだけでは許されません。はたして、立花さんが生きていたらどう言うでしょうか。「それも人間だ。しかし、救いは必ずある」「時間がすべて解決する」

 

 ★ アフリカの岩絵に描かれた「核爆発と宇宙人?」

 超古代史において世界の、とくにアフリカやオーストラリア大陸などはたいへん興味ある場所です。宇宙の果てに存在する「シリウス」を知っているドゴン族(西アフリカ)。また、別の地にある岩絵には「太古の宇宙人?」が描かれていて、彼らの背後には「核爆発?」の模様が…。そして、驚いた表情の宇宙人?が両腕を上げている。

 過去に宇宙のどこかの惑星で「核爆発」があり、地球に避難してきたのだろうか? ひょっとして、われわれの意識の基底には“祖国”を失った超古代人の意識が潜んでいるのかも。(ただこれは多分に劇画的で、あまり信用されないほうがよろしい)

 

 ★ 「人間の存在」について、結論を言わなかった立花さん

 あまりにも幅が広く、「人間の存在」について結論を言わなかった、出せなかった立花さん。そらそうでしょう。それは「人智の及ばぬ域だから」。だから人間は生きていられる?

 

 

 一方で、未来への夢を託したのが手塚治虫さんでしょうか。あの『火の鳥』シリーズですね。こんな場面を思い出します。たしか地下都市から死火山の火口のような場所に出て来た少年が、空を見上げる。しかし、その領域は火口の幅しかない。少年は火口の縁に沿って頂上まで登りきり辺りを見まわす。と、そこからは果てしない平原が四方に続く。そして少年は一歩一歩、歩み始める……。しかし、その果てに何があるかは誰も知らない。

 

 ★ 縁あって、この世に生きる人間同士の「愛」をいつくしむ

 世界を歩きまわった立花さん。

 そんな中、アフリカの原住民と肩を組んで踊る立花さんの姿があった――。世界じゅうどこであれ、人間は仲良く暮らすべき生物だと改めて思い知らされた。とくに最近、(紛争がなければ)「この世は極楽浄土だ」と思うようになってきた私にとっては――

 

 立花さんの「研究」も、最後はそこに行きつくのではないだろうか――

 

 「必然か」「偶然か」――われわれが今ここに存在する意味を知りたい。人間はどこまでも追い続ける生きものなのでしょう。それには「意識」の解明が必要だ、と私は思っているのです

 

 ★ 「虚数」の世界をさぐる

 数学は私のいちばん苦手とする領域です。が、数学の世界には難題の「ABC予想」というのがあって、「解」を求めて世界じゅうの学者が挑戦していたそうです。それを、2012年8月に京都大学の望月新一教授が「証明した」という論文を発表されたのです。イギリスの科学誌ネイチャーは「査読に時間がかかるだろう」とコメントしたきりで、結果はまだ出せていないようです。望月教授が証明に用いたのは「宇宙際タイヒミュラー理論」というのだそうですが、私にはあまりにも難しくて理解不能です。

 その方法は、整数だけでなく、「虚数の世界」に入り込み、そこで「解」を求めて、この世に還元して計算すると解決した、とおおよそそんなことだったと思います。

 私にはチンプンカンプンですが、これは数学上の問題です。しかし、この世で解けない色んな分野の問題は、いちど「虚数の世界」に持ち込んで、そこで「解」を求め、そして現実世界の整数に引き戻して“計算”すれば解決されるのではないか、と考えるのです。とくに「意識の探究」に対して有効ではないか――とてつもないことが私のアタマにひらめいたのですが。

 

 さて、その先は闇です。が、勉強します。問題はそれまで命があるかどうか? 

 

 

                (記 2022.5.1 令和4