きのうの朝、いつものように新聞を読んでいると、
「心がふるえる」記事に巡りあいました。
(2019年5月19日、朝日新聞朝刊「声」欄、東京本社版から引用します)
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(声)ひっそり咲く花のような亡妹
無職 肥後昌男(宮崎県 85)
亡き妹が夢枕に立った。薬袋を両手で差し出していた。薬嫌いな私に、
「兄ちゃん、ちゃんと薬飲むのよ」と気遣っているようにも思えた。
母が若くして病死した後、妹は父、兄、私そして弟の家事全般を担って
くれた。それは自分の幸せを忘れたかのような日々だった。生きがいは花
づくり。「私は花壇の草むしりで悩みも一緒にむしっているのよ」と言っ
てほほえんだ。育てた花は、男の多い所帯を和ませてくれた。
我が家の庭には妹が実家から移植した花や木が四季折々、途切れなく芽
吹き、花を咲かせてくれる。
「兄ちゃん」と呼ぶ声がした気がした。振り向くと、妹の移植した梅の
木でウグイスがさえずっていた。その姿が妹とダブって見えた。11年前
に亡くなった妹。ひっそり咲いて朽ちる花のような生き様だったように思
われてならない。
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愛に満ち、哀愁がただよい、なんと美しく、優しい文章でしょう。
涙がとまりません。
妻や母を失った家庭は、炎が消えたような空気に包まれるのでしょう。男ばかりの所帯のなかで、ただひとり女性だった妹さんが懸命に家事を切り盛りされていた様子がありありと目に浮かびます。ごつい男どもはどれだけこ心を慰められたことか。
「兄ちゃん」――11年前に亡くなられた妹さんの冥界からの声。兄・弟は妹を思い、妹もそれに応えた。じゅうにぶんに母親代わりをされていたのでしょう。
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若くして病死された、おかあさん――母親といえば、私には母の思い出はありません。3歳のときに亡くなった母。いまは座敷の飾り棚に着物姿の写真が一葉、遺っているだけです。毎朝、写真に向かって手を合わせます。目の前にいる“母親”は、いつも私に何を話してくれているのでしょうか。小学生から中学生の頃、夜、ふとんの中に入ると、いつも泣いていました。どれだけ枕を濡らしたでしょうか。「僕は苦しい。どうして僕を残して死んでしまったの?」
あのスーパー・ボランティアと呼ばれた尾畠春夫さんも若い頃に母親を亡くされています。「いま、何がほしい?」とテレビのインタビューに、こう答えておられました。「母親に抱きしめてもらいたい」
私も尾畠さんとまったく同じ思いです。しかし、老境を迎えたいま、もう母親は個人を超えて“宇宙の愛”のような存在になっています。どうしてだろう。それは今、私のそばには濃やかな気遣いをしてくれる妻、やさしい言葉をかけてくれる子、かわいい孫に囲まれているからでしょう。何の不自由もない生活をおくっています。ありがたいことです。
で、母親に対してはこう思うようになりました。「母を亡くした私の寂しさより、子を残して死んで行かなければならなかった母親の悲痛は、私の思いの何百倍、何千倍も大きかったはず。おかあさん、もう心配しないでいいよ」
ただ、時折り、涙とともにおとずれる寂寥感の底にあるのは尾畠さんの言葉とおなじです。「一度でいいから、母親に抱きしめてもらいたい」
(記 2019.5.20 令和元)
