*都内散歩(1) ~亀戸から錦糸町へ~ 「令和」へ改元の前日に | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 東京スカイツリー

 

 すこし時間がたちましたが、「令和(れいわ)」へ改元となる前日(ゴールデンウイーク中)の平成31年4月30日、引っ越しの後片づけに追われた疲れを癒すため、しばしの時間、妻とふたりで散歩に出かけました。空模様はまあまあ。行き先は江東区から墨田区の一画です。で、このあたりを「川の手」と呼ぶということを朝日新聞朝刊地域面の「題字」で初めて知りました。住んでみないと分からないことがいろいろとあるものです。

 

 

        * 亀戸(江東区)~ 錦糸町(墨田区)

 

 「亀戸」と書いて「かめいど」と読むと知ったのは、恥ずかしながらこちらに来てからのことです。過去に延べ1年間も滞在していた東京ですが、亀戸に足を踏み入れたのは初めて。

 

 東京駅周辺や、渋谷、新宿、秋葉原、原宿、浅草、築地、吉祥寺…など通った道は数々あるのですが、亀戸に来たことがなかったのです。「かめいど」という地名さえ聞くことがなかったのですから、情けない話です。

 

 

さて、その「亀戸」について、ウィキペディアにはこうあります。【…難読地名の一つといえるが、元は「亀井戸」と書いたことに由来する。元々の地名は「亀島」(または亀ヶ島、亀津島)で、その名の通り亀の形に似た島であったことによる。後に島の周辺に土砂が堆積して周りの島々と陸続きになり、亀島は亀村と呼ばれるようになった。これが、現在の亀戸三丁目付近にあった臥龍梅庭の井戸「亀ヶ井」と混同されて「亀井戸」と呼ばれるようになり、さらに「井」が取れて亀戸となった(亀津島の津<「つ」は古語で「の」の意>が「と」に変化したものとする説もある)】

 

 なんで「亀戸」と書いて「かめいど」と読むのか、が分かりました。元の「亀井戸」のままで良かったのに…。ホントのカメは井戸に棲まない? いや、棲むこともあるかも。

 

さらに、ウィキペディアにはこうあります。【錦糸町と合わせて『錦糸町・亀戸副都心』の指定を東京都から受けているが、錦糸町が墨田区、亀戸は江東区になっているので、行政区分は二つの行政区内にある繁華街。…】

 

亀戸通十三間通商店街

さて、総武本線亀戸駅からスタートすることに。「亀戸通十三間通商店街」を南から北へ抜けました。ゴールデンウイーク中だったので車道は「歩行者天国」になっています。子ども連れの若い人たちが多く、それぞれが思い思いに楽しんでいました。心もはずみます。

 

 

歩行者天国で見た「大道芸」

 まず、最初に出会ったのが歩行者天国での「大道芸人」。人だかりの前で、ひとりの若者が体じゅうに楽器をしばりつけて音楽を演奏しています。チンドン屋の洋風版といった、いでたちです。<スピーカーから音楽を流し><両手を使ってギターを弾く><口は、背負った太鼓の上端に装備した金具にくくりつけたハーモニカを吹きながら><両足の靴のかかと部分につけた(足と太鼓をつなぐ)紐を操って、右に左に歩きながら足のかかとを上下させて背中の太鼓をたたく><時折り、口にくわえたハーモニカをはずし、観客に話しかける>。いやぁ、この説明で分かるかなあ? すごい“芸人”さんがいるもんだ。おもしろいのと、一生懸命さに圧倒されている私デシタ。

 

 

 ●懐かしい「お豆屋さん」

懐かしいお豆屋さんがありました。店の名前は「但元いり豆店」とか。間口の広い店の前の入れ物の中にいろんな豆が並んでいます。入れ物の枠は木造りで上面と横面はガラス張り。ですから中身は一目瞭然。子どもの頃に通った「一文菓子屋」は、たしかこんなふうでしたね。懐かしい!。一瞬にして気分は“小学生”に。むかし京都に住んで居た頃に見たことがあったのですが、もういまはありませんね。こんな店がまだ東京にあるとは… 感激!

 

 

 ●「香取神社」の祭り、古武道演武と昭和の出し物

 そこから北へ数分歩いたところに「香取神社」がありました。勝ち運の神様で平将門の乱の際、追討使・俵藤太が祈願して乱を平定させたとか。訪れた時はちょうど古武道の実演中でした。子どもの頃、京都・深草にある藤森(ふじのもり)神社のすぐそばに住んでいた私は、よく似た雰囲気の境内に感懐を抱きました。

 そして、参道では、これまた懐かしい昭和の出し物がずらり。陽気なピエロ、若いおねえさんがやっていた「紙芝居」…。見知らぬ子どもたちと一緒にしばらく楽しみました。

 

 

 ●「亀戸天神社」境内で見た、みごとなフジ、藤、ふじ…… 

 学問の神様・菅原道真をまつる「下町の天神さま」。全国に多数ある天神さんのなかでも、梅で有名な京都の「北野天満宮」や、梅ケ枝餅で知られる福岡の「太宰府天満宮」には、とくに親しみがあります。今回、初めて訪れた「亀戸天神社」ですが、ここはフジが有名だとか。大勢の参拝者が枝垂藤の下を流れていました。私が育った子どもの頃、前出の京都・藤森神社では神苑一帯に「フジ」が生い茂っていたのですが、今はすべて駐車場に変貌してしまいました。情けなや、情けなや。あの風景をなんとか再現したいものです。

 

                  +

 

そこから街中を歩いて錦糸町(きんしちょう)へ。さすが東京デスネ。どこへ行っても、次から次へと「人」が湧いてきます 「ひと休み」と妻とあちこち喫茶店をさがいましたが、どこも満員。仕方なく、そそくさとバスに乗って家路についた次第。

 

「錦糸町」については、ウィキペディアにはこうあります。

 <地名の由来は、現在のJR錦糸町駅の北口の北斎通りに位置していた「錦糸堀」から来ている。なお、錦糸堀の由来については「岸堀」が訛ったものと諸説あるが不明(本所七不思議の「おいてけ堀」は錦糸堀のこととされる)。現在の町名では、駅北側が墨田区錦糸、南側が墨田区江東橋である。……1986年から毎年8月末に、河内から音頭取りを招いて「錦糸町河内音頭大盆踊り大会」を開催。地元の人々が子どもから大人まで熱狂的に踊りまくるなど、新たな錦糸町名物となっている。> 

 

 よ~し、その時にもういちど出かけよう。

 

                     (記 2019.5.28 令和元)