もう「自家用車禁止令」しかない
けさ(2019年5月8日)の琵琶湖のすぐそばで。県道ぎわの歩道で信号待ちをしていた保育園児の列に自家用車が突っ込んだのです。そのため園児2人が死亡し、1人が重体に。引率の保育士らも軽傷を負いました。
そのようすを、朝日新聞デジタルから引用します。(8日午後11時)
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容疑者「前をよく見ていなかった」 大津の園児死亡事故
8日午前10時15分ごろ、大津市大萱6丁目の丁字路の県道交差点で車2台がぶつかり、うち1台がはずみで保育園児の列に突っ込んだ。滋賀県警によると、園児2人が死亡、1人が重体。県警は車を運転していた2人を自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)容疑で現行犯逮捕し、容疑を同致死傷に切り替えて調べている。
県警によると、亡くなったのは、近くのレイモンド淡海保育園に通う伊藤雅宮ちゃん(2)と原田優衣ちゃん(2)。男児(2)が意識不明の重体となっている。ほかに2~3歳の園児10人が重軽傷、引率していた保育士3人も軽傷を負った。
逮捕されたのは、無職の新立文子容疑者(52)=同市一里山3丁目=と無職の下山真子さん(62)=同市。下山さんについては、8日夜に釈放された。県警によると、直進してきた下山さんの軽乗用車が、右折しようとした新立容疑者の乗用車と接触。その後下山さんの軽乗用車が、散歩中に信号待ちをしていた園児らがいる歩道へ突っ込んだとの目撃証言があるという。
新立容疑者は「前をよく見ていなかった」、下山さんは「右折車をよけようとハンドルを左に切った」との趣旨を供述。2人は、それぞれ別の大型量販店から帰宅する途中だったという。2人にけがはなく、同乗者もいなかった。
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いたいけな2歳の園児が犠牲となりました。若松ひろみ園長は、亡くなった2人の園児のことを聞かれ、「とても素直で、いつも笑顔で…。ごめんなさい」と話し、ハンカチで顔を覆って泣き崩れたといいます=写真。
このブログ(★自動車と人権★)でも、自動車による“殺傷事件”についてその悲惨さを書いてきました。事態は悪くなる一方です。もうここまで来たら「自家用車禁止令」の発動しか事故を防ぐ手立てはないのでは。人の足代わりの具にしては、その代償があまりにも大きすぎるのです。
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そんな中、想像力に欠け、「事故不感症」ともいえる主張が、
同じくけさの朝日新聞「声」欄に掲載されていました。
(8日、東京本社版。引用します)
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(声)力ずくで免許とキー取り上げた
主婦 小川智子(千葉県 63)
また高齢者の運転による痛ましい事故が起きてしまった。父が同じような事故を起こしてしまった苦い経験があり、その度につらくなる。
当時80歳を超えた父は、認知機能が衰えてきていた。何とか運転をやめてもらおうと、家族やヘルパーさん、医師で説得を続けたが、「年寄りこそ『ドアからドア』の移動手段が必要」とかたくなに聞き入れてくれなかった。
頼みの綱である「免許更新」も難なく通ってしまった。心配していた矢先に、見通しの良い国道で、青信号の横断歩道を渡っていた人をはねてしまった。幸い、一命は取り留めたものの、4カ月の重傷だった。しかし父は「自分は悪くない」と変わらず、また運転しようとした。
最後にとった手段は、力ずくで免許証とキーを取り上げ、車を売ることだった。それでも父は新車を購入しようとした。「申し訳ないが、あなたに車は売れない」と販売店が対応してくれたので助かった。
高齢者講習のハードルを上げ、医師との連携を強くすること、車の安全装置の一層の改良、免許を返納した高齢者へのタクシー券配布など公共サービスの充実を求めます。
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(声)年齢だけで能力判断しないで
無職 山本英明(東京都 86)
「年齢一律での免許返上 検討を」(4月25日)を読んだ。
確かに高齢者の事故は増えているかもしれない。しかし、新聞やテレビでは高齢者以外の人が起こした死亡事故も報じられている。事故を起こすのは高齢者ばかりではないのに、なぜ高齢者の事故ばかり取り上げるのだろう。高齢者バッシングのように思えてしまう。
私はまだ運転に自信があるが、娘との約束で長距離運転はやめている。一人暮らしなので、日常の食材の買い物や病院通いにだけ車を使っている。
以前、自転車で通院したら、途中で転倒してケガをしたことがあった。スーパーの買い物も自転車には荷物をたくさん載せることができないし、載せると危ないので、車に頼らざるを得ない。
私の運転歴は60年を超える。ただ、自信があると言っても、慎重の上にも慎重を心がけている。信号無視などしたことはないし、交差点に限らず歩行者優先を守り、道交法を守らない自転車にも気を配っている。
人間の能力や置かれた環境は、それぞれ差がある。年齢で一律に免許返上をとの意見には賛成しかねる。
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唖然とするとともに力が脱けてしまいました。「まだ、こんな人がいるんだ」。クルマで人をはね4カ月の重傷を負わせておきながら「自分は悪くない」と強弁するその姿に、「この人はいったいどのような人生を歩んで来たのだろう」と情けなさと憐みさえおぼえるのです。
事故を起こそうと思ってクルマを運転する人はいないでしょう。しかし、高齢期を迎えれば、ふとしたことで意識が薄れ、事故を起こしてしまうのです。周囲の声を素直に聞き、他人の幸せのために自家用車は手放すべきです。
記事の中で小川さんはこう言っています。「免許を返納した高齢者へのタクシー券配布など公共サービスの充実を求めます」と。甘えるのもやすみやすみにしてほしい。私は若い頃、「現在(注=その時点)の道路事情では、自動車は凶器となる危険物だ」と悟り、クルマを持つことをやめました。そのためずっと公共交通機関を利用してきました。当然のことながら、その費用はすべて自分持ちです。「タクシー券配布」などの考えはどこから出てくるのでしょうか。介護を受けているわけでもないのに。
地域によっては、自家用車がどうしても必要になることはあるでしょう。しかし、甘えていてはだめです。私は自家用車を持たないので、どこへ行くにも他人より1時間は早く家を出ます。大気を汚さぬ徒歩を旨としているからです。
山本さんの意見も分からないではないのですが、現実に高齢者の事故率は高いのです。いつまでも“エゴのかたまり”では、人びとが共生するこの世に生まれてきた意味がないではありませんか。
さて、問題はここからです。
このような危険にさらされる道路事情は、これまで私が言ってきた<「道路設計と周囲の安全確保の不備」に問題がある>に尽きます。
車道と歩道が同一面で隣接している状況では、事故はなくなりません。
道路のあるべき姿は、今から70年くらいさかのぼった時代のような状況が必要です。つまり、<道路は人が利用する領域であって、クルマが利用する車道は歩道(生活道路)と隣接しない専用道に限るべきで、それが出来ないなら地下深くに造られるべきものなのです。>ということを世界中の人びとが認識し実行する世の中にならない限り、クルマによる人命の棄損・犠牲はなくならないでしょう。
日本のみならず世界にとって今世紀最大の課題です。
(記 2019.5.8 令和元)