✡天皇と国民(8) 「平成」最後の日 「令和」への改元を前にして… | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

         大切なのは、「象徴天皇」を守ること

          

 

 「令和(れいわ)」への改元をあすに控えたきょう平成31年4月30日(2019年)。テレビはひなが、皇居・二重橋周辺に集合している人たちを映し出しています。一方で、あすから上皇として「平成天皇」と呼ばれる天皇と皇后さまについては、退位の儀式と、おふたりの出会いから今日までのお姿を各放送局が競って流しつづけています。さて、「象徴天皇」とはいったい何を象徴しているのでしょうか――

 

 ここ首都・東京は曇り空です。遠く過去へ時間を戻すと、時の明治天皇が「ちょっと東京へ出かけてくる」と言って京都御所を出られたあと、そのままずっと東京に滞在されてしまったのです。“仕事”が済めばまた京都に戻るつもりだったので、「東京遷都」ではなく、「東京奠都」と呼ぶのが正しい、というのが通説です。

 

 そしてその折に、京都にいた公家たちも半数が天皇に付いて東上しました。私の祖は嫡流ではなかったので京都に残りました。で、のちに私が京都に生まれたのはその縁があったからです。当時の屋敷は、御所のある京都御苑内の西端にあったようです。

 

 戦後、「象徴天皇」となられた陛下のお立場は微妙です。「人間宣言」をされた昭和天皇。それにつづく憲法第一章、民主化、天皇家の人権(というまやかしの疑義)、民間からのお妃……いろんな言葉が飛びかうなか、時の流れとともに週刊誌などで身辺を風浪にさらされてこられたことも確かです。しかし、あすから「平成天皇」となられる今上陛下はじっとその声に耳を傾けられ、皇后さまとともに自身の行動の指針とされてきたのではないか、と私は推し量ります。

 

 なぜ、天皇が必要か――必要不可欠なるもの。

 

それは、われわれが「人間」だからです。われわれは肉体を持つ生きものであると同時に、精神をはたらかせる存在でもあります。世界には君主を持たない共和制があり、かつ自由主義、民主主義、共産主義…といったイデオロギーは、もっともな面とともに危険を覆蔵した歯止めの利かない部分があるのです。

 

 新天皇となられる「令和天皇」にもこの先、それらのイデオロギーによる筆舌の矢が飛びかうでしょう。それは憲法に問題があります。創案された「象徴天皇」の曖昧さと、本来の「天皇」との乖離が原因なのです。

 

 過去に、こんな本がありました。エッセイストで動物行動学の竹内久美子さんがこう書かれています。(『賭博と国家と男と女』<文春文庫>)

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 われわれは、「どこの馬の骨とも分からん奴」には用心し、彼らを敬遠する。……彼が何かのはずみでリーダーの座に就いてしまったら、常にそうであるとは限らないにしろ、ひどい目に遭うのは自分たちなのだ(ヒトラー、スターリン、チャウシェスク、毛沢東、等々の例を見よ)。家柄で重要なポストを決めるのは、階級社会の悪しき旧弊などではなく、むしろ大変合理的なシステムなのである。有能でありながら家格が低い人は一生日の目を見ないかと言うと、そうではない。たとえばかつての日本には、伊藤博文の父がそうであったように、養子や婿養子として有能な人材が社会の表舞台に引き上げられる仕組みが存在した。……人間は、世代を越えて順位を継承することができる。これは人間の記憶力、コミュニケーションの能力、そして誰が誰の子であるかがわかる能力と婚姻形態をもってして初めて可能となった。生物の進化史上特筆すべき偉大な出来事である。人間は、生まれながらに順位を決めている唯一のサルなのだ。 

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 では、どうすれば「天皇」をおまもりすることが出来るのでしょうか――

 

 私の考えはこうです。

 

 天皇は“日本国宗主”として、憲法の枠から離れて存続すべきです。このことを私はつよく希望します。三島由紀夫が言った「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」とまでは云いませんが、井上達夫氏(東京大学教授、法哲学)が言う「天皇個人と天皇制は区別して考えないといけないが、私は象徴天皇制を日本に残った最後の『奴隷制』だと考えます」は偏見甚だしいと考えます。天皇は決して自由主義・民主主義といった“教義”に染まることはないのです。思想はそれらを超越した世界にあります。ゆえに、皇室の方々は泰然としたすがたをお示しになっておられるのです。

 

 

 天皇をおまもりするために、天皇は「京都御所」に帰られるべきだと私は思います。

 

 

     (記 2019.4.30 平成31=平成最後の日)