地上には二つの人間の種族がある。
善意ある人間と、そうでない人間と。
ヴィクトール・E・フランクル
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(霜山徳爾訳 みすず書房)
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* ドストエフスキーが『死の家の記録』で人間を定義して、「すべてに
慣れ得るもの」とした命題がどんなに正しいか意識せざるを得なかっ
た。
* 仲間が寝ていてうなされている。あわてて起こそうと思ったがやめた。
どんな中身であろうとも、この収容所の現実よりはましだろうと思っ
たから――
* ユーモアもまた、自己維持のための闘いにおける心の武器である。
* 市電に乗って家に向かう。入り口の扉を開ける。電話が鳴る。受話器
を持ち上げる。家の電灯のスイッチを入れる――囚人が思い出の中
で撫で回し、慈しむものは、こんな一見、笑うべきささやかなこと
であった。悩ましい思い出に涙する者もいた。
* 囚人については「内面の拠り所を持たなくなった人間のみが崩壊せし
められた…」
* 必要なのは、人生から何をわれわれはまだ期待できるか、ではなく、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているか、が問題。
* 人生とは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に
課する使命を果たすこと、日々の勤めを行うことに対する責任を果
たすこと。
* 人間は苦悩に対して、この苦悩の運命とともに世界でただ一人、一回
だけ立っているという意識にまで達せねばならない。
* 何人も彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くことは出来ないのである。
* 「人間の善意を人はあらゆる人間において発見し得るのである」。し
たがって人間の善意は罪の重いグループにも見いだされるのである。
一方が天使で、一方が悪魔であるとは説明出来ない。
「監視兵が囚人のため、ポケットマネーで薬を買い与えた」
「囚人代表は監視兵を合わせたより厳しかった」
* 地上には二つの人間の種族がある。善意ある人間と、そうでない人間
と。
いかなるグループも「純血」でなく、どちらの人間も入っているのである。
(記 ?)
