♦ニュースから(14) 「京都市美術館」➡「京都市京セラ美術館」に名称変更 平成日本あゝ! | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

  

 

 京都市左京区岡崎にある「京都市美術館」の名称が「京都市京セラ美術館」に変わる、と新聞が報じています(朝日新聞朝刊 2016107日、大阪本社版)。京都市が命名権(ネーミングライツ)を京セラに売却する、と発表したのです。

 

 「ミロのヴィーナス展」を開催したこともある京都市美術館は、1933年に日本で2番目の大規模公立美術館として設立されました。しかし老朽化が目立つようになり、市は100億円をかけて改修を計画。その資金を調達するため、「命名権」の売却先を募集していましたが、京セラが50年間・50億円の契約で買い取ったのです。

 

 「命名権」なんて、いったいだれが考え出したのか分かりませんが、つまらないことを考えるものです。科学や生物など名前がまだないものに新しく「命名(付与)」するのは分かりますが、既に名前のあるスポーツや文化施設に企業名を付けるというのは、いくらビジネスとはいえ、あんまりでしょう。施設を誕生させた先達を愚弄し、文化や伝統に対しての侮辱だと私は思います。

 

 文化財や公共物の改修に費用がかかりすぎるため、自治体は「命名権」なるものを売って費用を捻出するという策を考え出したのです。つまり、税金でまかない切れない分を企業などに呼びかけて負担してもらうというわけです。

 

 しかし、既存の建造物は時代を超えた歴史とともにあり、都市や地区の代名詞となっているものも多数あります。その「既にある名前」に企業名を付け加えるのは、「市民」「歴史」「文化財」「知的財産」などの事実を毀損し、その権利を侵害する行為といわざるを得ないと私は思います。

 

   京都会館➡ロームシアター京都

 過去に京都では、美術館の近くにある「京都会館」の命名権を半導体大手のロームに52億5千万円(50年間契約)で売却しています。そして名称を「ロームシアター京都」に変更しました。これも改修工事費用捻出のためです。他人はどうなのか知りませんが、私はいまもって「ロームシアター京都」という言葉を口にすることはありません。あくまでも「京都会館」で通しています。それで不自由しないところが京都人の矜持かも。

 

   西京極球場➡わかさスタジアム京都

 もうひとつ。京都市民の野球のふるさと、西京極。ここにある「西京極球場」(正確には「京都市西京極総合運動公園野球場」)は現在、正式名称を「わかさスタジアム京都」と言います。2009年4月にサプリメントメーカーの株式会社わかさ生活が命名権を得て、この名称に変更しました。したがって、「西京極球場」は通称名となってしまったのです。野球の好きな私にとっては、いまもって悲しい!

戦前に開場した「西京極球場」は、ここをメーン球場として京都の高校野球大会が毎年開かれています。名称変更後、「わかさスタジアム…」という名前をテレビかラジオで初めて聞いたとき、私はてっきり福井県の球場かと錯覚した記憶があります。命名権なんぞはほんとに罪な代物です。

 

 
                   

 ところで、京セラはこの話によく乗ったものです。創業者で実業家・仏教者・啓蒙家の稲盛和夫さんは、どのように考えられたのでしょうか。私は、事業だけではなく学術・文化に造詣のふかい人格者の稲盛さんの大ファンで、たいへん尊敬しています。ですから稲盛さんの「考え」をぜひ聞いてみたい。

 

今回の「京都市京セラ美術館」という名称に、私は非常に違和感があります。ただ稲盛さんが考えられることですから、不問にしたいとは思うのですが…。でも、やっぱり同意できませんね。なぜなら、たとえば「ボストン美術館」が「ボストン・マイクロソフト美術館」という名称になれば、これから育つ若者たちはそこをIT関連の美術館と勘違いしないとも限りません。

 

 「企業による命名権の買収などは邪道だ」と稲盛さんに言ってほしい。かわりにその額に見合う「寄付」をして、改修の済んだ美術館の側に協力者としての功績を記した銘板を永久に残す、これでよいではありませんか。「命名権を売る」という市の土俵に乗ってほしくはありません。それとも「ケ(京)・セラ・セラ なるようになる 先のことなど解らない♪」なんでしょうか。

 

 今回のことに限らず、「命名権を売る」というような子供じみた発想を大いに嘆く私です。あくまでも「寄付」を募るべきです。美術館のみならず、名称そのものをいじくることは歴史をつくりあげてきた先達に対して申し開きが出来ません。

 

 「京都市美術館」という名称が文化財であり、宝なのです。何かといえば「文化財保護」をいう市当局の考えることでしょうか。明治の大人社会を著した司馬遼太郎が生きていれば、これを見てどう言うでしょう。「バカなことをするもんだ。平成日本あゝ」

 

                    (記 2016.10.8 平成28)