さらにこれを“翻訳”すると、こうなります。
ふつう、臨死体験者は病院のベッド上での手術の際に意識が肉体を離れてしまいます。そして、臨死中の意識は夢遊病者のような状態で空間をさまよい、三途の川に出合ったり、過去にこの世で出会った人と邂逅するなどの体験をするわけです。ただその状況は自分がつくりあげているわけではありません。あくまで眼前に現れるものに自分が対応しているだけです。
ところが、ユングやキューブラー・ロスといった人は臨死体験中、自分の意思(意志)で時空を超え目的地に意識を飛ばすことが出来るのです。さらに木内さんの凄いところは時空を超えて目的地に行くだけではなく、過去に存在した人の意識に入り込み、「自分の意思(意志)=行為を、その人(被試験者)に代行させる」という、とてつもないことを行ったということになります。そしてまた、そのときの木内さんの意識は、この世における通常意識とまったく同じであるということに驚きます。慌てることもなく、その状態(臨死状態)にある(陥っている)ことを意識していて、ふだんと同じ思考を保っているということです。
これについては木内さん自身が、こう分析されています。
私にとって臨死体験ははっきりと二つにわけられます。すなわち、心臓が止まる前の洞窟や花畑の丘にいた体験、これを第一次臨死体験とすると、心臓が止まったあと、意識だけになって時空を移動した体験は第二次臨死体験といえます。(P52~53)
となると、「第一次臨死体験」といわれるものが四次元体験で、「第二次臨死体験」が五次元体験と言えるのかもしれません。もしそうであるとすれば、臨死体験にもいろんなステージ・態様があることになり、今後の研究にとり興味深い示唆だと思います。
もう一度、おさらいをすると。
現在に生きる木内さんが臨死体験中――。木内さんの意識は時空を超えて過去(江戸時代)にさかのぼり、その時代に生きている歌人(当主)が歌をつくっている場面に出会い、自分の名前の一部である「つる」という文字をいたずら心で歌の中に書き込ませました。100年以上を経た現在、この世に生きている木内さんが臨死状態から脱け出たあと、そのことを思い出して調査をすると、ちゃんとその歌集の中に「つる」と書かれていることを確認した、ということなのです。
歌集が残されていた当の家では、100年以上の間、「なぜ、意味をなさない『つる』という文字が入っているのか分からなかった」のですが、木内さんの「告白」で疑問が解けました。
ただ、しかし、これらの事実には新たな疑問が生まれます。つまり「運命」というものの実在が表面化するのでは、ということも考えられます。
どういうことかといえば、100年以上も前に書かれた謎の文字「つる」というのは、
(1)後世に木内さんが生まれ、意識が時空を自由に移動できる「臨死状態」を得ることができる人間になっていなければ永遠に謎のままであった。
(2)江戸時代の当主は、みずからが書き終えた「歌」に「つる」の文字が入っていることを“確認”出来る機会が、その時、あるいはその後にあったはずなのに、どうしてそれに気づかなかったのか。結果として次の二つが考えられます。
①当主自身、それを書いたという自覚(意識)がなかったので、和紙に書かれた文字を再読(点検)することはなかった。
②そのとき、五次元にいる木内さんが当主に書かせた「つる」の文字は、三次元のこの世では和紙上には現れず、当主はまったく気づいていない? もし、気づいておればその時点で当主はその文字上に棒線を入れて消すか、黒く塗りつぶすなどをしているはず。それをしていないのはその文字が「表面化」していないとみるべきかもしれません。木内さんにとっては臨死状態から脱けてこの世に意識が戻った後、「つる」の文字を見ることができました。ただ冷泉家は、木内さんの問いかけ以前からその文字を「確認している」ので、三次元のこの世の人間が「見る」限りにおいては、ある時点でそこに現出したのかもしれない、といったことが推測されます。
となれば、またここで量子物理学の出番となります。シュレディンガー波動方程式です。前にも書いていますが、こういうことです。
『パリという街はあなたの意識によって実在化され、個々人の思念エネルギーによって変化する』のです。シュレディンガー波動方程式は、「自然界は観察するという行為によって無限の可能性を生み出しつづけているが、いったん現実として知覚されると物質の持つ波動関数のすべてが収縮されて一つだけが残り、それが現実の世界となるのである」というものです。
木内さんによる三次元と五次元の往還。われわれが生きる世界は時間序列というものに包囲された世界ですが、木内さんが入り込んだ五次元世界では時間の後先はなくなってしまっています。これが正しいとすると、臨死体験の意識は驚くべき世界を垣間見ることになります。それは面白くもあり、恐ろしい世界でもあるのです。(詳しくは次の機会に譲ります。)
まさに、小説のような話ですが、事実かどうか今のところ判定できません。「つる」については、冷泉貴実子さんにお会いする機会があれば聞いてみたいものです。
(記 2016.4.18 平成28)