§臨死体験(5) 驚くべき臨死体験 木内鶴彦さんの“冒険”(前編) | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

  

 

 彗星捜索家・木内鶴彦さんの著書『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』(晋遊舎)には、驚くべき臨死体験のようすが書かれています。

 

 こんなことが本当にあるのか、といった内容です。国内外の臨死体験者が口にする「体験の実際」は、時空を超えて浮遊したり、この世に広がる目的の場所に移動して建造物や人物を眺めたり、あるいはそこに生起している事柄を報告しているというものです。

 

 しかし、木内さんはその本の中で、「途方もない事実」を報告されているのです。これには私もたまげました。「うっそー」といった感じですが、そうでもないようです。

 「私が見てきた世界とそれに対する見解を述べさせていただきます。……『バカげている』と一笑に付す方もいらっしゃるかもしれません。でもこれらは間違いなく私が実際に体験した事実なのです。そこに未来の科学につながる手がかりがあると私は信じています。」

 

    それでは、その内容を紹介させてもらいます。(P4648

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 ……臨死体験で時空を旅した記憶は、私の意識の中にはっきりと刻まれているのです。

 

 夢中で旅した先の一つに、江戸時代の風景があります。平安時代から歌人を輩出してきた家で、私の前にも一人の歌人がいました。私は、父の意識に入り込んだように、その男性の意識の中に入ってみました。

 そして男性の目線で目前の和紙を眺めてみました。そのとき思ったのは、もしその人の体を借りて、何かを残すことができれば、私がその時代、そこに訪れた証拠になるのではないか、ということです。

 気がつくと、男性の意識の中に入り、自然に鶴彦の「つる」と書いていました。

 もし生き返ったら、絶対にこの証拠を見つけよう、と私は心に誓いました。男性は和歌の名手であることはおぼろげにもわかっていました。

 蘇生してから、私はその文字がある家を探し求めました。記憶と伝手を頼りに辿り着いたのは、京都のある旧家でした。歴史的にも名前を残す家で、先祖は、小倉百人一首にも歌が納められている和歌の名手です。

 その家には、歴代の当主が詠んだ和歌を集めた歌集がありました。

 子孫の方から、歌集の中に、意味をなさない「つる」の言葉が入った歌が一首あること、子孫の間では代々、それが謎となっていたことを教えていただきました。

 その歌には植物の蔓(つる)も、鳥の鶴にまったく関係なく、ましてや、その箇所に「つる」の文字があることは、字余りであるばかりか、洒脱さも名家の歌人ならではの味わいもなく、ただの蛇足にすぎないとのこと。解釈のしようがないので、子孫の間では、「なぜ、つる?」と、長らく疑問に思われてきたとのことでした。

 私は自分の臨死体験の話をし、特別にその歌集を見せていただきました。

 すると、ありました。「つる」の文字。間違いありません。あのとき男性の体の中に入って、私が書いた「つる」です。これで私があのとき、ここに来たことが証明されたわけです。

 子孫の方も、「これまでずっと謎に思われてきたことの意味がわかった」とおっしゃっていました。

 臨死体験を経た直後は、もしかしたら私が経験したことは危篤状態で見た単なる夢か幻覚に過ぎないと自分に言い聞かせたこともありました。一時的に頭がおかしくなったと思ったこともあります。

 でもその後、年月を重ねるにつれ、あの体験が真実だったことが次々と証明されていくのです。

 私にはもう迷いはありません。いまは臨死体験で得た経験を皆さんに伝えていくことが私の使命であると確信しています。

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意識研究のなかで、これは第一級の資料です

 

この文章の前段には、次のような内容の記述があります。

 

木内さんは腸閉塞などで何回か臨死体験をされました。あるとき、病院に入院していて臨死状態に陥り、自分の意識がそばにいた父親の中に入り込んだ、と言います。肉体を脱けた意識は五次元の世界に移動したそうです。この世は三次元(縦、横、高さ)ですが、それに空間を加えた四次元、さらに意識を加えた五次元(つまり意識が自由に移動できる)世界を体験したということです。

五次元の世界では、「私が父の中に入り込んだり、母の横に瞬間移動するといったことが可能になるのです。」と書かれています。

 

 話を元に戻すと、本文中の事実関係はこのように推理できます。

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 ①時代は日本の江戸時代

 ②場所は京都市にある歌人の家

 ③歌人は平安時代に活躍した藤原定家の子孫で、江戸時代の当主

  (現在は冷泉家が継承)

 ④歌集は「時雨亭文庫」に所蔵されている?

 ⑤現在、子孫を代表する方は冷泉貴実子さん

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  で間違いないと思われます。

 

さて、ここで、最大のポイントとなるのは、「つる」と書いたのは誰か?ということです。


  文中では

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 気がつくと、男性の意識の中に入り、自然に鶴彦の「つる」と書いていました。

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  とあります。


つまり、「木内さんの意識」が書いた、あるいは書かせたことになります。

だとすると、そのとき木内さんは肉体を持たないので、歌を和紙に書き終えた当主が書いたことになります(当主は「つる」と書いている意識はまったくなく、手だけが動いた?)。もうひとつ考えられるのは、「木内さんの意識」が書いたのかもしれません。としても、それは五次元での所作・現象であって、その時点(臨死中の三次元のこの世)では和紙に「つる」という文字は現出していなかった、かもしれません。

ただ、歌人の家では、謎とされた「つる」の文字は古くから認識されていたようです。となると、現在という時点での臨死体験中に書かれた「つる」の文字が、過去から現在にわたって存在していたということは、「臨死中の意識は、時空を超えて過去や未来に自由に行き来することができる」ということです。それはまた、五次元世界には「時間」は存在しない、という「証明」にもなります。となれば、「時間」というものは、肉体を持ち三次元のこの世に生きるもののみが意識する概念なのかもしれないのです。

 

こんなことが実際に起こりうるのでしょうか? ふしぎですが、木内さんを信じるしかありません。

 

                         (つづく