すったもんだの末、「2020年東京五輪・パラリンピック」のエンブレムが決まりました。最後に残った4候補から選ばれたのは、市松模様をあしらった「組市松紋」。藍色の四角形を組み合わせたシンプルなデザインが好感を得たようです。
「輪環」と「球形」のようなデザインは、世界の人びとが一つながりになっているように見えます。すばらしい作品です。ただ、私の感覚からすると、オリンピックというスポーツではなく、「古典芸能の祭典」にふさわしいエンブレムだったかも、と思う次第です。いやいや、そんなことを言うべきではありません。もう、決まったのですから……
候補作4点のメッセージは、次のようなものでした。
[A]「組市松紋」=市松模様をデザイン。
伝統色の藍色で粋な日本らしさを表現。
(アーティスト 野老朝雄)
13票
[B]「つなぐ輪、広がる和」=選手の躍動と観客の喜びの“輪”、
平和や調和の“和”を表現。
(デザイナー 久野 梢)
1票
[C]「超える人」=風神・雷神をモチーフに選手の姿勢を描いた。
(アートディレクター、デザイナー 後藤崇亜貴)
2票
[D]「晴れやかな顔、花咲く」=空に向いて咲く朝顔に競技者や
応援者の感情を重ねた。
(デザイナー 藤井智恵)
5票
21人の選者がそれぞれの思いを込めて投票し、[A]案に決まりました。めでたしめでたし。
+
さて、ここで、呼ばれてもいない私が“投票”させてもらいました。
[C]案です。理由は、こうです。4案とも当然のことながら、デザインを中心に考えられています。が、[C]案にはそれに加えて“人間賛歌”という思想を感じたからです。
デザインそのものは「子どもっぽい」感じがしないでもないのですが、選手が「お~っとっと」とユーモラスに躍動しています。これが、いいのですねぇ。そして、顔が小さく・脚が太く……。競技はギスギスとした雰囲気のなかで行うのではなく、みんながリラックスしていなければなりません。じつに、すばらしい作品だと思います。
「風神・雷神図」といえば、日本では京都・建仁寺にある俵屋宗達の屏風絵が有名です。また、それを模した尾形光琳の屏風絵もあります。しかし、そのどちらも「風神・雷神」は鬼面です。われわれは、これらの神々に親しみを持つことが出来るでしょうか。否です。
では、なぜこのような鬼顔になったのでしょう。これは仏教と大いに関係があります。インドから中国、そして日本に伝来した(釈迦仏教ではなく)大乗仏教、それも浄土教は「地獄思想・勧善懲悪」ということを広めました。その結果、なんでもかんでも「鬼」になってこの世を闊歩し始めたのです。困ったことです。とにかく大乗仏教は「暗い」の一語に尽きます。
また、それらは日本の神道にも大きな影響を与えました。「風神・雷神」というのは本来、鬼のような顔をしていないのです。たとえば雷は「稲妻」と呼ばれるように、「稲の夫」の妻であって、農耕民族にとっては大事な神のひとつでした。まさに「善神」です。
それに気づいた日本画家、安田靫彦は正しい「風神・雷神図」を描きました。それはシルクロードの向こうに起源がありました。たとえば、<安田靫彦展>の案内書はこうです。
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靫彦は古典芸術や有職故実、考古学の新知見にいたるまで深い関心を寄せ、作品に説得力を与えました。
琳派で見知っている風神雷神とは違い、若くてはつらつとした少年のような二神。風神の両手を広げたポーズは中央アジアの風神アネモスの図像に由来すると指摘されている。
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ギリシャの風神ハッダ、タリム盆地キジル石窟の風神はいずれも人間の顔をしています。
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後藤さんの制作意図は、こういうことだったのでは。投票者にはこれらのことを斟酌してもらえていたでしょうか。いずれにせよ、“人間賛歌”のオリンピック、パラリンピック大会にしたいものです。
(記 2016.4.27 平成28)