§真我探究§(1) 真我の探究と知恵の道 | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。


       

 真我の探究は、知恵の道ではありません。

 

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 アートマ・ヴィチャーラ(真我の探究)という直接的な道は、通常の伝統的なジニャーナ・マールガ(知恵の道)にあるような前提条件を除去する。それが、すべての問題の根源である心の中へまっすぐに入って行く方法だからだ。「心が生じた後にのみ、他のすべてのものが生じる」。それがどこから現れるのかその本質を探究すれば、心は真我の中へ溶解していく。これはバガヴァンが彼に心を向けた人々に教示した、全く新しく完全で総合的な、真我の探究の道である。

 

 『沈黙の聖者 ラマナ・マハリシ―その生涯と教え』

(出帆新社 シュリ・ラマナシュラマム編著 柳田侃監訳 P209

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「前提条件」とは、仏教や一神教であるキリスト教、イスラム教などの戒律や教説をいいます。ところが真我の探究は、そういう言葉で示されたものではない瞑想により、心(こころ)を内に向かわせるものなのです。

 

一人ひとりが自己の力で、宇宙の真理を知る。このことが大切なのです。祖師や預言者が指し示した言葉ではない「真理」を得ることなのです。

 

 「私はここに在る」という個人の経験による「意識」のみが私であり、「至福」に至る道なのです。これは、私自身の体験でもあります。

 

                    (記 2006.12.8 平成18