§真我探究§(2) 心(こころ)とは… | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 「心(こころ)」とは、それ自体があるわけではないのです。真我の意識が、目覚めとともに身体を通じて「心」を生み出し、あらゆる想念を起こさせるのです。 

 

 したがって、「善い心」とか「悪い心」というものもありません。「心」は善いものにも悪いものにもなり得るのです。

 

 むろん、性善、性悪というものもありません。身体を通じて目の前に現れた対象(物)に対して、エゴ(自己)が判断し、対象にぶつかる。それが、善きあるいは悪しき現象としてあらわれるのです。

 

 心はソフトといえます。道具にすぎないのです。したがって、対象物に常に冷静でいられる自己をつくらねばなりません。

 

 心そのものは、内へ、真我へ溶解させておけば、心のゆらぎはありません。したがって、善心、悪心を超えたところに真の平和が訪れます。

 

 「願い」や「祈り」の宗教では、平和は訪れません。一人ひとりが真我への目覚め、それに向かう努力が平和への道なのです。

 

      (記 2006.12.8 平成18)