「ナスカの地上絵」は1939年、考古学者のポール・コソック博士によって発見されました。ご承知のように、南米ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた高原の地表面に、数多くの幾何学模様や動植物の絵が描かれています。
私がそれを知ったのは20歳の頃でした。当時、エーリッヒ・フォン・デニケンが「太古宇宙飛行士来訪説」を発表して、ブームを巻き起こしていました。滑走路?と見られる直線路は宇宙と地球を往還していた超古代人の飛行物発着場だという説に、あれやこれやと空想をめぐらせ興奮したものです。当時、彼の著書『未来の記憶』や『星への帰還』などをむさぼるように読んだのを思い出します。
多くの人によって研究が進められてきたのですが、それが何のために描かれた(造られた)のか、は今もって確定していません。
その後、ドイツのマリア・ライヒェ女史が終生ここに住み着いて、その解明作業と保護が行われているのです。
さて、「何のために」つくられたのでしょうか? 以下のような説があります。
1、歴法関連説
2、社会事業説
3、雨乞い儀式利用説
4、成人試験説
5、死者を太陽に送り届ける説
6、宇宙人説
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どれが正しいのでしょうか? 私も謎解きに、いろんなことを考えてきました。そこで、最終的にたどり着いたのが「シャーマン」との関係です。
◆私が考えた説は、「シャーマンによる行動」です。
私は、「自身の神秘体験」に加えて、数多くの「他人の臨死体験」を調べてきました。それらの内容から考えて、これは意識的に体外離脱を試みたシャーマンの「意識」が、どれくらいの上空から「何」の地上絵を見たのかということに眼目があったのではないか、と思うようになったのです。上空を飛びまわって絵を見ることで、それぞれの「意識」がどこまで行ったかを“競う”、あるいは飛ばすことが出来るかの“訓練”をする、またはそれによって事象を“占う”ことではなかったか、と考えたのです。
日本の卑弥呼もそうですが、当時のシャーマンというのは部族の命運を左右するほどの絶大な力を持っていたと想像します。したがって、大地にあのような空間が出来上がっていたとしてもおかしくはない、と私はみるのです。
私は、スイスの精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングから多くのことを学びました。ユングはいとも簡単に自身の「意識」を体外離脱させ、宇宙を“散歩”しているのです。
◆例証として、「ユングの言葉」を引用します。
私は宇宙の高みから地球を眺めていた。
はるか下方には青い光に輝く地球が浮かんでいるのが見え、そこには紺碧の海と諸大陸が見えていた。はるか彼方にはセイロン島があり、前方はインド半島だった。
地球の大部分は着色されており、ところどころいぶし銀のような濃淡の斑点をつけていた。
左方のはるか彼方には大きな荒野があった。そこは赤黄色のアラビア砂漠で、銀色の大地が赤みがかった金色を帯びているかのようであった。そして紅海が輝き、さらにはるか後方に、ちょうど地図の左上方にあたるところに地中海をほんの少し認めることができた。雪に覆われたヒマラヤを見たが、そこは霧が深くかかっていた。左手の方は見渡すことができなかったが、自分は地球から遠ざかっているのだということを自覚していた。(「ユング自伝2」ヤッフェ編 みすず書房 P124)
ユングはしょっちゅう体外離脱をして、地球を眺めていました。ユングだけでなく、この世には今現在も、このような体験をしている人が少なからずいるのです。
◆もうひとつの例証として、「エマニエル・スウェデンボルグの言葉」を引用します。
霊のつくり出すヴィジョンが幻影だろう、と議論をする人が現代に多いのは、人びとが古代の人のような素直な心を失ったせいである。その結果、人びとは霊的な能力も失って、霊の世界のことに暗くなったからだ。こんな点で、古代の人びとのほうがすぐれていたのは、簡単な例をあげるだけで誰にも納得できる。古代エジプトの彫刻や東洋の仏像などで、そのことが明快に実証されているからだ。仏像が背負っている光背は、単なる装飾ではない。それは悟りの境地や霊がつくりだす、悟りのヴィジョンとしてのオーラを彫ったものなのであって、古代にはそのヴィジョンが見える人が多かったことを示している。(「霊界Ⅱ」中央アート出版社 P128)
<参考>文中の太字(仏像が~示している。)は、私が
神秘体験時に見た風景と全く同様の内容です。
さて、私の「シャーマン説」。みなさんはどう思われますか?
(記 2016.1.4 平成28)