*本・文学・ことば(7) 正月早々、戯れことばに落胆デス――「折々のことば」から | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 
  

 暖かい正月になりました。

 

きょうは、もう三日。けさは朝刊が届きました。朝日新聞の1面には、いつものように鷲田清一さん選の『折々のことば』が載っています。

 

                       (引用します)

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  『折々のことば』鷲田清一

 

  猿を決め込む

                 戯れことば

 

 三匹の猿がそれぞれ目と耳と口を塞いでいる。見ざる、聞かざる、言わざる。これを「三猿」という。自分に都合の悪いことはあえて知らんぷりをすること、これを「猿を決め込む」という。巻き添えになることを恐れて口をつぐむ人。あえてふれないで「ないこと」にする報道。ほんとうは政治から子どもの様子まで、見ないふりしてちゃんとみていることが肝要なのに。

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今年は申年ということで、「猿」にちなんだことばを選ばれたのでしょう。が、正月早々、戯れことばの「三猿」を持ちださなくてもいいのに……ちょっと落胆しました。


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 そこで、恐縮ながら、正調のことばを書いておくことにします。

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  『折々のことば』のむらりんどう選

 

    「三猿」の叡智
                    
ことばの謂れ

                                                                              

  三匹の猿がそれぞれ目と耳と口を塞いでいる。見ざる、聞かざる、言わざる。これを「三猿」という。「目は人の非を見ず、耳は人の非を聞かず、口は人の過を言わず」という天台小止観の空、仮、中の教えにもとづく。仏教の瞑想のことである。

 いつも3匹の猿の像を身につけていたインドのマハトマ・ガンジーは、「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えていた。

 それにしても人間は、我がつよすぎる。余計なことを見たり聞いたりしても、むやみに他人に言ってはならないという自戒が必要。

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                   (記 2016.1.3  平成28