*本・文学・ことば(2) 本棚に本を並べることは、知性を誰かに誇示する行為? | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

    

 

 毎週日曜日の朝の楽しみは、「朝日新聞の読書欄」を開くことから始まります。

 

 広告欄の新刊書をざっと見たあと、「ニュースの本棚」「週間ベスト10」などを隈なく読み進みます。まさに至福のひとときです。

 

 そして、<売れてる本>欄に目を移してみると、今週(2015年8月2日)のタイトルは『ぼくたちに、もうモノは必要ない。佐々木典士<著>』で、筆者はコラムニストの速水健朗とあります。

 

 内容は、最近はやりの「片付け術」から発した最低限必要なモノしか持たない「ミニマリスト」です。速水氏については全く知らない私ですが、記事を読み進むうち、うなずけない点が…。

 

              (書き出しからの文章を引用します)

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 モノを持つとはどういうことか? 本棚いっぱいに本を並べることは、知性を誰かに誇示する行為。アップル製品を身につけることは「優れたセンス」の持ち主であることをアピール。モノを持つことは“顕示欲”を満たすこととイコールなのだ。

 だが、人はすぐにモノに飽き、また新しいモノを所有したくなる。ゴールはない。どれだけモノを所有したところで、人は幸せになることはできない。

 こうしたモノによって“顕示欲”を満たそうとする悪循環を断ち切り、最低限必要なモノしか持たない「ミニマリスト」の生き方を提案するのが本書。……

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 これを読んで、みなさんはどう思われますか?

 「う~ん、そういうことかも」とうなずきますか。私は「あまりにも乱暴な」と驚きました。つまり、「本」と「アップル製品」を同列に並べているからです。

 

 「本」も「アップル製品」もモノに違いありません。ですから、“所有欲”というのなら分かりますが、どうして“顕示欲”につながるのでしょう。

 「アップル製品」を身につけて街中を闊歩すれば、それは“顕示欲”がないとはいえません。しかし、自宅のそれも書斎の本棚に「本」を並べることが、どうして“顕示欲”になるのでしょう。家族以外の人間が、それを見る機会がどれだけありますか。所蔵者は「これだけ本を持っているぞ」と云わんばかりの“顕示欲”のために、わざわざ人を家に連れてくるでしょうか。そんなことは私には考えられません。

 

 いつだったか忘れましたが、美輪明宏さんが次のようなことを語られているのをテレビで見たことがあります。

 

「三島由紀夫の書斎の本棚には、ぎっしりと蔵書が並んでいた。きちんと整頓されていて、三島はその本棚の上から何段目の右から何番目の本のどのあたりに、どういうことが書かれているかを記憶していた。私は、三島という男は魁夷だと思う。これまで多くの人と付き合ってきたが、これほど知性に富んだ人物を後にも先にも知らない」

 

したがって三島は、他人との会話中も、また小説や評論を書くときも、講演会で話題の一助とする場合も、パッと本棚のイメージを頭に浮かべれば、目的とする本の内容をすぐに披歴できたといいます。

 

本棚の効用はまさにこういうことなのです。「知性を誰かに誇示する行為」では決してないのです。もしそういう人がいるとすれば、それはバカげた行為です。筆者はそのような考えで本棚を見ているのでしょうか。寂しい限りです。

 

ところで、狭いながらもわが家の書斎にも本棚があります。本があまりにも増えたので、小説類などをだいぶ処分したのですが、専門書などを中心にまだ2千冊くらいは棚に収まっています。

 私は、図書館を模して、棚の各段に区分表を貼り付けています。

<新聞、哲学、心理学、宗教、歴史、地理、政治、経済、社会、……文学>。必要な本は即座に取り出せるという塩梅です。

 

当然のことながら三島由紀夫には遠く及ばないのですが、背表紙の「タイトル」を見れば、すでに読んだ本の内容がイメージとして浮かび上がります。これが大事なのです。書き物をするときに参考にしたり、引用したい時にも重宝します。本棚というのは「知性を誰かに誇示する」ためではなく、自分自身の脳に収まり切らない知識や記憶の収容場所なのです。

 

                   (記 2015.8.10 平成27)