教訓 ――クルマに近づくな!!
わが家は隣近所の人たちとはほんとに仲が良く、
暮らしやすい日々を送っています。ただ、北隣の
人とはどうもそりが合わないので困っているとこ
ろに……
その隣家との境にある塀の一部が少し汚れてきたので、カラースプレー(噴霧塗料)の小瓶を買ってきて補修をしました。綺麗になった塀に満足しながら後片づけを終えた翌朝、隣家から思わぬ“抗議”を受けることになったのです。「自家用車のトビラに色が付いた!」と。
隣家には、塀から10センチほど離れた玄関先にグレーの自動車が置かれています。よく見ると、たしかに前のトビラの真ん中あたりに2カ所、霧状にうっすらと5センチ大のグレーがかった色が付いていました。
「塀に塗らはった塗料が、こっちへ飛んできたんやわ」との隣家の娘の言葉に、「使っていたカラーの色と同じやから間違いない。気づかなかった。申し訳ない」と謝りました。
ただ、ふしぎなのは、塀があるのになぜ塗料が向こう側に飛んだのか? そこで“現場”をもう一度よ~く見ると、塀にわずかな隙間があり、風にあおられたスプレーの塗料がそこから向こう側に飛んだようです。そういえば作業中、強い風が何度か吹いていたのを思い出しました。
“加害状況”を納得したあと、「それでは、すぐに近くのトヨタ自動車販売会社のショールームに修理に出します」とご主人が言うので、行ってもらうことにしました。ただクルマに無縁の私としては「ガーゼか脱脂綿にシンナーでも滲み込ませて拭き取れば済む話ではないか」と思ったのですが……。
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わが家には自家用車はありません。「国土が狭く人口密度の高い日本では、体の不自由な障害者や高齢者を抱える家庭などよほどの事情がない限り、都会に住む者は自家用車を持つべきでない。ましてや家のすぐ近くに公共交通機関の電車やバス、タクシーがあれば、事故や公害を少しでもなくすために我慢すべきである」というのが私の信条です。したがって、自家用車と無縁の私としては、このような場合どう対応すべきなのかも初めての経験でした。
ほどなくしてトヨタ自動車販売会社に向かった隣家のご主人から電話が入りました。点検の結果、「前トビラの中ほどに2カ所、それに後ろのほうに数カ所点々とした小さな付着がありました」との報告を受けたのです。
「それで、修理費はどれくらいになりますか」と聞くと、なんと「50万円です」。
「ええっ!」と、思わず大きな声をあげてしまいました。さらに「トビラを取り換えなければならないかもしれない」との言葉を聞いて、またまた「ええっ!」。「なぜ? どうして?」物をぶつけてトビラがへこんでいるというのではない。色が、それも霧状にうっすらと付いただけなのに「取り換えないとダメなの?…」
自動車修理の状況に暗い私の言い分は、ディーラーやドライバーからすれば「何を寝ぼけたことを言っているのか」といったことなのかもしれません。盛んに出てくる言葉は「トビラにはコーティングがしてあるので…」。したがって、「修理費も高くつく」という。
そのへんの事情が全く分からない私は、“世間の常識”を述べることにしました。
結局、トヨタ自動車販売会社の「それではトビラは取り換えないで、25万円にします」を受け入れ、決着することにしたのです。
この件で、私は改めて「自動車」というものの存在に対し、“理不尽と恐怖”に襲われました。
以下にその問題点を列挙することにします。
●自動車は美術品か?
予期しない不注意で、隣家の自動車にうっすらと塗料をつけてしまったことは完全にこちらのミスで、言い訳はできません。こういう場合、修理費が一体どれくらいになるのか、自動車を持たない私としては予測がつきません。ただ、その値段を聞いたとき、あまりにも高額だという気がしました。
業者の値段が妥当なものとすると、これは街を走るための「交通車両製品」というより、「美術品」に相当するのではないか、という思いがしたのです。
●修理代50万円→25万円はおかしい
最初に「50万円」と聞いたとき、「うっそー」といった感じでした。「50万円」という数字は、私と妻との生活がかかっている年金の2カ月分相当ですし、よくは知らないのですが中古の小型自動車が買える値段ではないのか、と思いました。
そこで「ええっ!」という声をあげたので、「25万円」になったのですが、何も言わなければ「50万円」払わされていたことになります。私は損害保険などに入っていませんから、現金で支払わなければなりません。あまりの高額に思わず「ええっ?」と声をあげたから値引きされたのですが、何も分からないお年寄りなら、オロオロして、そのまま支払っていたでしょう。
これが日本を席捲する自動車業界の実態です。こんないい加減な商売をしているのです。われわれはバカにされているとしか思えません。
最近はどこの家にも自家用車があり、このような場合は「損害保険」で支払うようです。したがって、毎月の掛け金はかかるにしても、一度に全額を支払うことはないので驚きもなく、修理会社などの言い値で修理をするのでしょう。そして、あとで保険会社は唯々諾々と満額を修理会社に支払っても、まだ儲かっているのです。そうだとすれば、これまた掛け金に寄りかかって大きな収入を得ているということになります。
今回の場合、「適正価格」は一体いくらだったのか。最初に提示された「50万円」という数字は、たとえば国宝の「奈良・東大寺の大仏さん」を毀損した場合の罰金額に相当します。これから推し量って、いかに“不当な額”を請求しているか。疑問はふくらむばかりです。メーカー、販売会社、修理会社――これらは“カルテル”を形成しているとしか私には思えません。
●“美術品”を雨ざらしの玄関先に置くな、車庫に入れよ
後日、現金25万円と菓子折りを持って隣家に行きました。クルマは修理され、元通り玄関先に置かれました。何事もなかったように――。
その前後、私の頭の中ではいろんな思いが駆け巡っていました。そして自戒の言葉が生まれました。それは、むやみに「クルマに近づくな!」。
その前に、頭に浮かんだのは、もしこれが「自動車」ではなく、「自転車や乳母車」だったらどうだったか、ということです。たとえば自転車のフレームや車輪の一部にうっすらと霧状の色が付いたら…。たぶん大方の人は笑いながら「色が付いているか付いてないか分からない。大丈夫ですよ」と言うでしょう。仮に私が被害者だったとしても、「そんなの、どうってことありませんよ」の一言で終わりです。
まさか「自転車屋さんへ修理に出します」とは、言わないはず。これから導き出されることは、クルマは単なる「交通車両製品」ではなく、「美術品」になってしまったということです。
だとすれば、「“美術品”を塀のそばの、雨ざらしの玄関先に置くな。そんなに大切なものなら、きちんと車庫をつくってそこに格納するかシートをかぶせるなど、外部からの干渉を防ぐ手立てをせよ」と言いたくもなります。
狭い日本の住宅の玄関先に大きな自家用車を抱えること自体が、「無謀行為」だと私は言いたい。隣に住む者は、いつ“被害者”になってしまうかもしれないのです。
●自動車は“美術品”ではない 意識を変えよう
道路を歩いていると、家の前で自家用車を洗浄している光景に出くわすことがあります。本人たちは喜色満面なのですが、そばを通る歩行者にとってはこれほど迷惑な話はありません。道路は個人のものではないのです。住宅内に十分な車両置き場を用意せず、図体の大きなクルマを持ったばかりにこのようなことになるのです。
テレビで見るアメリカなどでは、砂や土にまみれた自動車がよく走っています。むやみやたらと洗浄することはなさそうです。クルマは利便にあずかる交通車両という機械であって、日本のように“美術品”というような意識はないのでしょう。日本人ももっとドライになって、アメリカ人の合理的な面を見習うべきです。
何度も言いますが、自動車は交通車両です。“美術品”ではありません。クルマの表面をピカピカにして走るドライバーたちの「顕示欲」はそれで充たされるのでしょうが、その周辺に住まざるを得ない無関係の市民にとっては迷惑至極の代物です。
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ドライバー諸君! 自動車業界はあれやこれやと“付加価値”をつけて儲けようとします。自動車は“美術品”ではありません。われわれはもう少し賢くなりましょう。
自家用車と無縁の者に
これ以上、不必要な出費を強いないでください。
(記 2013.11 平成25)