以前の記事で、「知っている」ということはそれだけで武器になる、ってことを書いたことがあります。https://ameblo.jp/nomu222/entry-12373334220.html
専門知識を持って難関の資格でもとれば他の人がお金を遣わなければいけないところで逆に稼げるようになるし、企業でも補助金の出る事業の情報をいち早くしれたりすればビジネスチャンスも生まれます。
法律や制度というのは必ずしも弱者の味方というわけではなく、「それを知ってる者の味方」と言えるのではないでしょうか。
そして、その裏返しで「知らない」ということは潜在的なリスクになるとも言えます。
例えば、将棋の世界で、一番上のA級に所属している棋士だと高い確率でコンピューターの最善手に近い手を指します。
いわゆる「悪手」といわれるものはほんど指しませんが、それでもたまに指してしまうことがあります。
それは「自分の知らない戦法」「自分の知らない盤面」と出くわした時。
対局のないときも常に研究し続けているプロの棋士でも「知らなければ間違えやすい」ってことですね。
だからタイトル戦などの大一番では普段の順位戦などでは使っていないような戦法、自分がいままで温めてきた研究手順をぶつけていったりします。
これは受験勉強についても同様のことが言えると思います。
前回の記事で「初見の問題でも自力で解けるようになることが大事」なんて書いておいて矛盾に思われるかもしれませんが、見知った問題ならそもそも考える必要もなく解けてしまいますからね。
いろんなバリエーションの問題を知っておけば、初見の問題に出くわしたとしてもその知っていること自体がヒントにもなりえます。
逆に、英単語やら理社の用語などであれば、そもそも知っていなければ解答できません。
順番はあくまで「知ってる」→「考える」で、どちらも必要です。
孔子も言ってますよね「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し。」って。
ビジネスの世界だと何も知らなくてつっこんで行動して、大成功を収める人もいますけど、勉強の場合の「知らない」はリスクでしかないです。
東大や京大や医学部を目指すような高校生だと学力的にはその時点で十分高いはずですが、それでも他の子たちよりもさらに勉強に励むのはそのリスクを減らしたいからと言っていいかもしれません。
せっかく学力を積み上げてきたのに、たった一つ二つのキーとなる英単語を知らなくて問題が解けなくなるなんてことを考えたら、恐ろしくて勉強続けざるをえないって心境になるんですよねえ。
人間は行動経済学的には「損をしたくない生き物」だそうですから。
ちゃんと学習してきた子はそれを無駄にしたくないのでギリギリまで頑張れるようになれます。
これはこれでイタチごっこみたいで本人たちにとってはすごくきついですけどね。
積み上げてきたものがない子は「もったいない」と感じることもないのでなあなあの学習態度のままになりやすいですね。
当然、学力差はさらに広がります。
しっかり学習していけば好循環なサイクルになって、入試のときのリスクを減らしていくことができます。
まずは「知ってる」を増やしていけるように学習に取り組んでいきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
一宮市大和町妙興寺の次世代型自立学習塾e-Study
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