脱会後(11) | 未知なる心へ

未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

この斎場では、現場作業員であるわたしとNさんの他に、役所から来ている五人の事務職員がいました。Kさんという所長を含めて、五人もの職員が事務室に詰めていたのです。

実際の業務はわたしたちがやるのだから、職員が五人もいたって、仕事なんてほとんどありません。電話の受付くらいなのだから、まったく税金の無駄みたいなものです。民間の企業だったら、こんな暇なところに五人も配置するなんて絶対にあり得ません。わたしは、こんな暇そうな職場に五人もいたら、住民からクレームがついてもおかしくないだろうと思いました。

でも結局は、こういうお役所から頂く仕事だからこそ、わたしの待遇も良かったわけです。だから、役所の職員とは仲良くするに越したことはありません。また、同僚のNさんもそのへんは心得ていて、時々は事務所に差し入れをしたりして、所長のご機嫌を伺っていました。

このNさんは、そういう処世術には長けていました。なので、ちょっとだけ話すぶんには、意外と気さくでいい人にも見えます。だから、最初は所長たちの反応も悪くありませんでした。

よく、世間には「似ても焼いても食えない」という人がいるでしょう。Nさんは、まさにそういう人でした。金銭面は超の付くケチで、仕事はいかに楽にやるか、手を抜くかばかりを考える。人に頭を下げるのは大嫌いで、人のやり方には絶対に従わない。嘘は平気でつき、簡単に前言を翻す・・・とにかく、わたしから見たら、年長者ではあっても、その言動には尊敬できるところが一つも見当たりませんでした。そのくせ、人に取り入るのはうまく、特に目上の人にへつらうのはお手の物でした。わたしはそんなNさんの態度を、いつも苦々しい思いで見ていました。

だから、わたしのそんな態度はNさんにも伝わったはずです。Nさんから見たら、きっとわたしはお高くとまった堅物で、可愛げのないボンボンに映ったでしょう。でもわたしはNさんのことなど構わず、自分に出来る最善を尽くせるよう心掛けていました。そして、所長たちも徐々に、そんなわたしの姿勢を評価してくれるようになりました。

こうして一年が過ぎようとした時に、この斎場の隣町に、新たな公営斎場が建設されることになり、そこの業務もわたしの会社で請け負うことが決まりました。そして、仕事に慣れてきたわたしをそちらの斎場に移し、責任者をさせるという案が浮上してきました。

これはわたしにとって、Nさんから離れる最大のチャンスでした。とにかくわたしは、もうNさんにはうんざりしていて、顔を見るのも嫌だったのです。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言いますが、わたしがNさんに抱く感情は、ほとんどそれに近いものでした。誰か職員がNさんと親しげに話していると、その職員にさえ怒りをおぼえる程で、そんなNさんと離れることができたらどんなにいいか、気が楽になるかと、わたしは一日も早くその日が来るのを待ちわびていました。

しかし、この会社の方針に対して、所長が異を唱えました。Nさんを出すのはいいが、わたしを異動させることは絶対に許さないと言い出したのです。

「やっとNさんと離れられる」と思っていたわたしはショックでした。もちろん、わたしのことを所長が評価してくれたことは嬉しかったのですが、わたしとしてはそんな事よりも、とにかくNさんと離れたくて仕方がなかったのです。

会社としても、請負先の意向に逆らうわけには行きませんから、わたしの異動はほぼ不可能になりました。かといって、アクの強いNさんを異動させて新人達の上に立たせたら、どんな風に現場を引っ掻き回すかわかりません。それで会社も色々と頭を悩ませた結果、そちらの新設の斎場で募集した三人が、ある程度仕事に慣れるのを待ってから、その三人の誰かとNさんとを入れ替えるという方向で話が決まりました。

わたしもとりあえずは、Nさんと離れる目処がついたので一安心しました。しかし、いまにして思えばこの考え自体が、ひどく利己的な考えです。自分さえ良ければ、他の人はどうでもいいというのですから。Nさんを他の人に押し付けても、自分さえ離れられればいいと・・・。

でも、その時のわたしは、そういう考えしかできませんでした。おれは一年以上も我慢してきた。もういいだろう? 誰か早くバトンタッチしてくれよ! という気持ちでした。他の人の気持ちとか、当のNさん自身のことを考えるような心の余裕はなかったのです。そして結局は、そういう利己的な思いが、ジワジワと自分自身の首を絞めていくことになるのでした。


(つづく)