未知なる心へ

未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。

私が留年した直接の理由は、後期の試験日程に体調を崩して、多くの試験を欠席したことだった。もちろん追試は受けたのだが、結果として留年した。



でも、本当の理由は この年に卒業したくなかったのだ。その、卒業したくないという思いが、体調の異変を呼び寄せたのかもしれない。



私は原理研究会という統一協会の学生組織で活動していたのだが、留年せずに卒業した場合、アメリカに留学する摂理があって、そのメンバーに選抜される可能性があった。



私は正直、アメリカに行きたくなかった。それよりも原研の指導者として、国内で活動していきたかった。



だから留年が決まった時は、正直嬉しかった。そして留年した1年間は、セミナーのスタッフや物売りなど、ほとんど原研の活動に没頭していた。



統一教会の思想に洗脳されていたから、それらの行動も、もちろん正しいと思っていた。



就職活動は全くしなかった。そして、それが素晴らしいことだと思っていた。一般の企業に就職することに、全く何の価値も見出せなかったのである。



いまにして振り返れば、何とも浅はかだったとしか言いようがない。でも、その当時の自分にとっては、それ以外の選択は考えられなかったのである。



しかし問題は次の年だった。大学を卒業するにあたって、教会に献身することを両親に伝えなければならない。私はずっと、原研で活動していることを両親には隠していたのだ。



そして、統一教会のことを両親に明かした日、私にとってはとんでもないことが起こった。これは今でも、私の両親に対する思いの中に、しこりとなって残っている出来事である。



とにかく父親は私のことを罵倒した。 一方的に 私を批判し、全く私の言い分を聞こうとはしなかった。



その横で、母はただじっと黙り込んでいた。私は、父親はともかく、母はいくらかでも私のことを理解してくれていると思っていた。だから内心では、母親がフォローしてくれることをどこかで期待していた。



しかし、そんな観測は甘かった。父親が去った後で、母親は一言ぼそりと私に言ったのである。「私が育て方を間違えたのかしら」と。



それを聞いた瞬間、私の全身に衝撃が走った。それは怒りとも悲しみともつかぬ、本当にただただ裏切られたという思いだった。



それまで母に抱いていた感情、信頼というものは、その瞬間にことごとく打ち破られた。そして、その思いは今に至るまで続いている。私はもう、母のことを信用できなくなってしまったのだった。