未知なる心へ

未知なる心へ

統一教会入信から脱会までの日々と、脱会後の魂の彷徨。


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昨日は久々の夫婦喧嘩。

 

きっかけは、自転車購入の件だった。

 

私は4月から新しい職場に行くのだが、ここはかなり遠方で車の渋滞も激しいため、電車通勤と併用する方向で考えている。だが、職場から最寄りの駅までは、歩くと30分以上かかるため、自転車を購入して駅の駐輪場に置いておくことにしたのである。

 

さらには、自宅から駅までの通勤用にも自転車が必要。つまり、自転車を二台購入することになった。

 

しかし、わが家に経済的な余裕はない。そこで、自転車購入の費用をどのように捻出(小遣いから出すか、カードの分割で買うかetc)するか考えていたのだが、私はどうせ必要なのだからと、まず一台目の自転車(約二万四千円)を、妻へ相談なしに購入した。

 

すると、妻は「二万四千円は高い!」と渋い顔をしたのである。

 

私とすれば、車で通勤すればガソリン代が大赤字(私の車は燃費が悪く、リッター8キロしか走らない。しかもハイオク仕様)になるのは明らか。電車通勤で経費を大きく節減できるのだから、そのために自分が乗りやすい自転車を買うのは当然だという思いがあった。

 

しかし、この時の不満が妻の中ではくすぶっていたようで・・・。

 

昨日、二台目の自転車を買いに行ったあと、車の中で口論となった。

 

実は、給料の締め日の関係で、4月は前にいた会社の給料と、今度入る会社の半月分の給料・・・つまり、1・5カ月分の給料が入ることがわかった。

 

私のそのことを前から話していたし、自転車購入の代金はそれでまかなえると思っていた。そして、妻もそのことは了解していると思っていたのだが、妻の方では、そのことをハッキリとは認識していなかったようだ。

 

だから私が、再び二万四千円の自転車を買ったことで、不満が噴出したのである。

 

結局、この二台目は私の小遣いで買うこととなったのだが、妻は一台目を買った時の話を持ち出してきた。

 

「家計が楽ではないのに、何も考えずに高い自転車を買った」という趣旨のことを言われたのだ。

 

しかし、そんなことを言われるのは、私だって心外である。決して、何も考えていなかったわけではない。

 

しかも、二台目の自転車を買う前にはちゃんと「給料が半月分余計に入る」ことは伝えてあったのだ。

 

ということで、車の中でしばらく口論。その後、駐輪場の契約の為に役所に行ったのだが、そこでもまた口論。

 

そして、帰りの車の中では、しばらく互いに無言だった。

 

 

 

だいたい、喧嘩のパターンはいつも決まっていて。

 

妻はいつも「気持ちを受け止めてもらえない」と言ってくる。

 

しかし、私からすれば、私の方こそ妻に「気持ちを受け止めてもらえない」と思っているのだ。

 

だから私は、そのことを妻に伝える。

 

「気持ちを受け止めろというけど、じゃあ、こっちの気持ちはどうなるの? そっちもこちらの気持ちを受け止めなければ一方通行じゃない?」

 

しかし、どうも違うらしい・・・こういう行き違いって、男女間の典型的なやりとりだと思う。

 

女性は、自分の気持ちに対して男性が「うんうん、そうか。そう思っていたんだね」と受け止めてもらえたら、それでいいと言う。

 

しかし、私の中にも「分かってもらえてない」という不満があるから、そう素直に受け止める気にはならない。そういう不満を抑えて、無理して「分かるよ」というのは偽りだと思うから、私は私で、自分の正直な気持ち(つまり不満)を妻に伝える。

 

すると、妻は再び「受け止めてもらえていない」と感じる。

 

この永遠に続く無限のループ。

 

最後にはいつも、私は黙り込んでしまう。

 

 

 

 

私は自分では、妻とコミュニケーションを取っている方だと思う。普段でも一時間くらいは妻と話すし、長い時は三時間も四時間も話し続けることもある。

 

それでも時々、こういった瞬間が訪れてしまうのだ。

 

 

 

人間って誰でも、自分を理解してほしいのだと思う。

 

私が今回転職するのも、根底には「自分のことが理解されない」というという思いが潜んでいた。

 

しかし、逆に「自分は同僚たちのことを、本気で理解しようと思っていたか?」と考えると、決して、そうではなかったことに気づく。

 

つまり、自分は相手のことを理解しようともしないのに「オレのことを理解せよ!」と、押し付けていたようなものだ。

 

 

 

「士は己を知るものの為に死す」という言葉があるが、その気持ちが良くわかる。

 

自分のことを本当に理解し、価値を認めてくれる人の為なら、人間って死をも厭わないものなのだ。

 

逆に言えば、それだけ、他者から承認されるということに飢えているのだろう。

 

しかし、他者からの承認に自分の人生を委ねていては、いつまでたっても、心の平安など得られるはずもない。

 

 

 

結局、夕方には妻と仲直りしたが、人間探求の日々はまだまだ続く・・・。

 

 

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